八戸学院光星時代の呉屋開斗 (c)朝日新聞社
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 4月18日、西武は24歳の育成契約の投手・東野葵から自主退団の申し入れがあったことを発表した。

【写真】2019年オフに中日を自主退団したのはこの選手

 2019年に日本経済大から育成ドラフト1位で西武に入団した東野は、本格派左腕として期待され、同年9月6日のイースタン、日本ハム戦で斎藤佑樹と投げ合って初勝利を挙げるなど、2勝を記録したが、翌20年の春季キャンプで左肘じん帯を損傷。3年目の今季も自主トレ中に再び左肘を痛めたことから、今後は野球とは違った道に進むことを決意し、シーズン中の自主退団となった。

 自主退団とは、球団から戦力外通告を受けていないのに、他球団やアマチュアでの現役続行などを視野に入れて、自らの意思で退団することだが、過去にも自主退団をした選手は存在する。

 19年オフに中日を退団した松坂大輔(現西武)もその一人だ。

 中日移籍1年目の18年に6勝を挙げ、カムバック賞を受賞した松坂だったが、翌19年の春季キャンプ中に肩を痛め、出遅れたことが災いし、1軍登板わずか2試合の0勝1敗、防御率16.88という不本意な成績に終わった。

 現役続行を希望する松坂に対し、当初球団側は戦力外にする意向を固めていたが、与田剛監督が“最後の働き場所”を与えるという温情から残留を希望し、一転年俸8千万円から減俸幅を一定に抑えた条件でオファーを行った。松坂も「球団には配慮していただいている」と条件面には納得している様子だった。

 だが、17年オフにソフトバンクを戦力外になったあと、最初に声をかけ、中日のテスト入団に尽力してくれた恩人の森繁和SDと友利結国際担当の退団が決まると、松坂は「僕もいちゃいけないな」と退団を決意。10月4日、加藤宏幸球団代表に退団を申し入れ、了承された。

 結果的に中日は、力の衰えたスーパースターに戦力外通告をして、世間の非難を浴びるという事態を回避。松坂も中日退団後、古巣の西武に移籍しているので、自主退団は双方にとって最も角が立たない解決手段でもあった。

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中日は2年連続で選手が「自主退団」