「贈る言葉」「幸せの黄色いハンカチ」「3年B組金八先生」と音楽から映画、ドラマまで、知らない人はいないほど幅広く活躍する武田鉄矢さん。現在発売中の朝日脳活マガジン『ハレやか6月号』では、芸能界随一の勉強家でもある武田さんに「老い」への思いを伺いました。
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60歳を境に、いい年寄り、値打ちのある年寄りになりたいという野望が芽生えてきました。私の考えるいい年寄りとは、アニメの「日本昔ばなし」に出てくるおじいさんとおばあさんです。「このおじいさんは絶対に人をだましたりしないだろう」「このおばあさんが握ったおにぎりは絶対においしいに違いない」と思えるような人たちです。
でも、年を重ねれば誰もがいい年寄りになれるわけではありません。少しでも油断しようものなら、鶴もスズメも寄ってこない、扱いにくい年寄りになってしまうから、やっかいです。
私の故郷、博多には「博多祇園山笠」という伝統的なお祭りがあります。山車(だし)をかいて(肩に担いで)市内を走り抜け、その速さを競うという勇猛なお祭りで、各町内には長老と呼ばれるトップがおります。その下に取締や衛生、総務などそれぞれ役職を与えられた人がおり、町一番の元気もんが赤手拭(※)といった感じで組織されています。
長老は町内でも尊敬されるいい年寄りです。長老が亡くなると、次の山笠の練習では山車をかいた若い衆が長老の家の前で足を止め、山笠を揺らしながら「博多祝い唄」を大合唱。故人を送ります。そしていい年寄りは、故郷の土にかえっていく。なんとも粋な風習じゃないですか。
私は、そんな故郷の博多を家出同然で飛び出して、芸能の世界に入ったのは24歳のころです。海援隊というフォークバンドのグループを組んで紅白歌合戦にも出場しました。「3年B組金八先生」などドラマでもヒット作にも恵まれ、この年になっても、芸能活動を続けています。
ろうそくに灯(とも)した火のように小さなラッキーチャンスからはじまって、「いつ吹き消されても文句はいえないぞ」という覚悟で歩んできた芸能人生です。
■夫婦は2回結婚することで生涯添い遂げられる
50歳のころ、自分が「わからぬこと」をそのままにせず、大学ノートに書き留めていくということをはじめました。拙著『老いと学びの極意』のなかでも触れていますが、「分数の割り算は、なぜ割るほうの分子と分母をひっくり返すのか?」といった小学4年生のころに感じた疑問から始まって、夫婦仲に至るまで、わからぬことを知ったかぶりせずに解を求めていこうというものです。
大学ノートにコツコツと書く作業は、夜空に星を描くのと似ています。いくつもの星が描かれ、60歳のころになると柄杓(ひしゃく)や白鳥、子熊の形に連なって星座が見えはじめるようになりました。