渋沢栄一 (c)朝日新聞社
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徳川家広さん(左)、徳川斉正さん(提供)
徳川家広さん(左)、徳川斉正さん(提供)

 こんばんは、徳川家康です──。家康がナビゲーターとして登場するNHK大河ドラマ「青天を衝け」。実業家・渋沢栄一の物語になぜ?という声もあるが、物語に深みを与えてくれている。徳川家はドラマをどう見ているのだろう。家康、慶喜の子孫に聞いた。

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■「明治から今日につながる江戸の文化」(徳川宗家19代)/徳川宗家 徳川家広さん

 私は、家康公から数えて徳川宗家の19代目にあたります。「青天を衝け」は幕末から明治にかけてのお話ですが、そこに家康公が出てきて、物語の背景や状況を説明しています。身びいきということもありますが、とてもわかりやすいし、導入という点では物語に入りやすいですね。北大路欣也さんが演じる家康公は貫禄があって堂々としてハンサム。とても家康公っぽい、ぴったりだと思います。

 家康公は江戸時代のはじめにいた人なのになぜと思われたでしょう。私も見ていて一瞬戸惑いましたが、よく考えてみると「なるほど!」と合点がいきました。

 まず、渋沢栄一と徳川家は深いつながりを持っていたことがあります。渋沢栄一は一橋慶喜公に仕官し、後には『徳川慶喜公伝』を残すまでの関係になりました。

 そもそも、渋沢栄一が生まれ育った埼玉は、家康公が江戸に入って間もなく着手した利根川の付け替えという大事業で生まれ変わった地です。さらに、家康公は鷹狩りにしばしば埼玉方面を訪れていたこともあり、とてもなじみのある土地なのです。

 番組制作の方たちは、江戸時代の長い平和が育んだ文明の土台の上に明治日本があるという、連続性を強く感じているのでしょう。明治に一気に西洋文化を取り入れて「近代化」したのではなく、日本的な近代がまずあり、そこに西洋の良いところを取り入れ今日の日本になった。その日本的な近代は徳川の世にできたものなのです。

 家康公が入って江戸の人口は多く見積もって1万人に満たないところから、100年後には100万都市へと急成長しました。世界の中では治安はよく、清潔でもあった。それ以上に重要なのは、天皇がいる京都が政治と文化の中心で、豊臣秀吉が本拠地とした大坂が経済の中心だった日本の端っこの江戸を、断固として日本の中心につくり変えていこうという、家康公の強い決意です。明治維新で徳川の天下は終わりましたが、天皇が江戸に移り、家康公が育てた江戸が名実ともに日本の中心となったわけです。逆説的に、家康公のヴィジョンが完成したわけです。「青天を衝け」に家康公が毎回登場するのは、こうした歴史の底流を反映していると思えてなりません。

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