そもそも国が19年の県民投票の結果を尊重し、計画を見直していれば、今回のような事態も起きなかった。若者緊急ステートメントの賛同者には県民投票にかかわった若者も多い。

 その一人、那覇市の普久原朝日さん(26)は元山さんのハンストを最も身近で記録した写真家だ。

 普久原さんは県民投票から2周年に合わせ、2月下旬に那覇市内で写真展を開催した。最終日の翌日、会場の向かいの県庁前で具志堅さんのハンストが始まった。

「明らかにおかしなことが、目の前で起きている。この状況を記録に残さなければ」

 普久原さんはいてもたってもいられなくなり、具志堅さんのもとに連日通い、カメラを向けた。

 訪ねてきた高齢者が具志堅さんに深々と頭を下げる場面が、強く印象に残っている。沖縄の現在は沖縄戦と一直線につながっている、と実感した。

 普久原さんの父親は沖縄戦で両親を亡くし、孤児として戦後を生き抜いてきた。父親が祖父(普久原さんの曽祖父)の名前も知らないのを知ったときは、「家系が途切れてしまった」ように感じ、ショックだった。

 昨秋、普久原さんは政党関係者から今年7月の那覇市議選に出ないか、と打診を受けた。身内に政治家はおらず、自分が政治家になるなんて考えたこともなかった。それでいったんは断った。しかし、県民投票後も何も変わらない現実にあらためて向き合い、今はこう考えている。

「誰かに政治を委ね、任せるだけでは自分たちの民意は届かない」

 政治の現場に挑む覚悟だ。(編集部・渡辺豪)

AERA 2021年5月24日号

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