「定年」とは何だろう。今年4月に施行された改正高年齢者雇用安定法は、70歳まで働く機会の確保を企業の努力義務とした。だが人生100年時代では、80歳を過ぎて元気に働く人も珍しくなくなるだろう。75歳はさしずめ折り返し地点。先達たちにいきいき働き、過ごせる秘訣を聞いた。
【東海林さんが全国の現場を飛び回っていたころの写真はこちら】
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「現場のショウジです」のフレーズでおなじみ、リポーターの東海林のり子さんはまもなく87歳になる。
「良かった。今の私にインタビューしてくれて」
取材を申し込んだ記者に、東海林さんは言った。70代のほうが、今よりずっと元気がなかったからだという。
分岐点はちょうど75歳ごろ。仕事が生きがいで、頼まれれば全国どこへでも飛んでいくつもりなのに、年のせいか、次第に声がかからなくなった。自分はもう求められていないのか。何とかしなきゃ。はじめは寂しさや焦りばかりが募った。
「そのころはまだ、自分流の生き方というのが見えてなかったのね」
だが余裕ができた分、大好きなライブに足繁く通ったり、若い友達と会ったり、充実したひとときを過ごすうちに、元気を取り戻していった。
かつて取材で出会った作家、宇野千代さんとの思い出が忘れられない。
当時すでに90代。なのに、赤ん坊のようにきれいな肌をしていた。「お肌キレイですね」と声をかけると、宇野さんは「あらありがとう、私ね、死なないような気がするの」と答えたという。
「そのたたずまいが何とも印象的で。お年を召されても、可愛くて、生命力にあふれてて。結局はお亡くなりになったけど、先生の言葉がいつも頭にある。だから私も死なない気がするの。思い込みなんだけど、思い込みって、力あるのよ」
元気とはいえ、年相応に、月に1度は転ぶ。だが骨折でもしない限り病院には行かない。自分は元気だ。治るんだ。自然の治癒力を信じ、思い込む。この「思い込み力」こそが東海林さんの活力源だという。
入浴時、タニタの体組成計に乗ると、体内年齢が「71歳」と表示される。それを見て、思い込む。
<あ、私若い。元気だ>