でも、実際にその生活が始まってみると、思い描いていたような楽しさはなかった。相変わらず仕事は忙しいので、尚樹さんは深夜に帰宅し、食べたものはそのまま、電気はつけっぱなしという具合。貴子さんには「家を荒らされる」と感じられた。
「出したら片付けてよ、とかこまごま言っていたと思います。そういう態度が、彼には気に入らなかったのでしょう」
正直、尚樹さんのことを好きだという気持ちも薄れていた。
「嫌いになったわけではないのですが、常にいない生活のさみしさから、感情のスイッチを切ってしまったら、もう2度と入らなくなってしまった感じです。それが、彼には『リスペクトされていない』と映ったんだと思います」
それにしてもこの時期、なぜ尚樹さんは「家を拠点に」と言い出したのか。
「理由を言われてもいないし、聞いてもいません。自分に都合が悪いことは言いたくない人なんです。仕事でいろいろあったのかな、と想像していますが……」
尚樹さんが「離婚したい」と言い出したのは、「家を拠点に」宣言から数カ月後のことだった。
「とても納得できなかったです。私が言うんじゃなくて、あなたがそれを言うんだ……って。私は散々、悩んできて、ようやく自分の気持ちを片付けたのに。修復できないか試みましたけれども、意志が固いようだったので、これはダメだなと割り切りました」
離婚を言われたときに湧いてきたのは、不安と怒り。
「当時は私、年収200万にも満たないくらいだったので、まだ5歳の子どもを抱えて離婚して、やっていけるのかな、と。好きな人にふられて悲しいとかさみしいとかいう種類の気持ちはなかったです。彼がいない生活がスタンダードになっていたので」
だから、嘆き悲しまずに済んだ。不安さえ解消できれば、次のステップに進めると思った。それで、子どものことを最優先に組み立てた公正証書を作成。持ち家を売却し、財産分与をして、離婚が成立した。