それだけに、家族や周りの人が、その「変化」の全体を一歩引いた位置から見守ってくれていて、「以前も悪くなった後にまた良くなったから今回も必ず良くなるよ」「一番つらかった時と比べればだいぶ底が上がっているよ」と言ってくれたのは、とてもありがたかったです。
そして繰り返しになりますが、あまり先のことを考えず、そのときそのときできることをする。今できることをひとつずつでよいので積み重ねていくことが、病気を受け止めていく力になったのではないかと思っています。
最後にもうひとつ、病状がものすごく悪くて、なにひとつ「する」ことができないときでも、その場に「いる」こと、つまり自分の存在自体に価値があると思うように努めていたかもしれません。
――2022年度から高校保健体育で「精神疾患」について習うことになります。期待することはありますでしょうか。
教育の専門家ではないのであくまで一個人の見解になりますが、これまでの学校教育はがんばろうとか努力しようとか上手になろうというメッセージを届けてきて、それはすごく大事だし、自分にも役に立っていると感じています。
でも、人によっては、あるいは、時と場合によっては、「がんばれ」と言われればやりすぎて疲弊してしまったり、少し抑え気味におこなったほうがいいときに無理をしてしまったり、ということもあるかもしれません。かといって「がんばりすぎないように」と言って、みんなが怠け者になってもいけないので、難しいところですよね。
マニュアル化された一つのやり方に頼るのではなくて、一人ひとり、時と場合によっても異なる「自分の答え」を自ら探せるよう、主体的な学びを共に実現していく。そんな取り組みが、心の健康の教育だけでなく今後の教育全体においても広がっていったらうれしいな、と個人的には思っています。
※前編【「うつ病」医学部生が12年かかって卒業した道のり 最初は1行のメールが打てなくなり…】も併せてお読みください。
(文・熊谷わこ)