J−POPのパイオニアであり、“一本独鈷”のアーティストでもある沢田をリスペクトする声は音楽界を含め、芸能界に根強い。
トシちゃんこと、田原俊彦もその一人。デビュー間もない時期から、著書やインタビューでたびたび沢田に対する尊敬を口にしてきた。
「沢田さんの生き方は、男として共感するところがありすぎですから。いまどんなステージをされているのか、この目で確かめに行ってきます!」
2019年に開かれた沢田の70歳記念ライブツアーに足を運んだ。
俳優の渡辺えりは、小学6年からのファンで、沢田と交流ができた今も頻繁にライブに通うという。
「意志もぶれず、歌もぶれない。一曲一曲を丁寧に魂を込めて、創り上げていく姿勢とサービス精神、そして毎回新しい努力を重ねつづける美しく光る星のような何か……。この輝く何かに惹かれている」とブログに思いをつづる。
あふれるジュリー愛を飛び越えて、「沢田研二論」なる文章を発表したのは、ダイアモンドユカイ。ローリング・ストーンズのキース・リチャーズと沢田を比較し、考察した。
「ジュリーも今新しいジュリーを作り出そうと戦っているのではないか。過去は確かに美しいものであるに違いないが大切なのは、今である! 今の自分のベストな表現を思い切り生きたいものだ! 日本のロックスターの先人(陣)を切るジュリーこと沢田研二さんから俺は目が離せない!」
こうした声は枚挙にいとまがないものの、それぞれに地位を築いた有名人たちが今も、奇をてらうことなく尊敬やあこがれを口にできる存在、それが沢田研二なのだ。
ビートルズやローリング・ストーンズにあこがれ、10代半ばで音楽の世界に飛び込んでから半世紀余り。
ふり返れば、沢田は“変わらない自分”であり続けるため、常に歩みをとめずに走ってきた。
人気に甘んじようとせず、当時としては異例だったメイクやコンセプトの凝った衣装、最新の音楽性を採り入れて、日本の歌謡界を切り開いた20代、30代。
テレビ出演をピタッとやめ、昔のヒット曲で露出することを自ら戒めた40代。毎年、新たなシングル、アルバムを制作し、「サービス心がない」「客が入らない」と揶揄されながらも、新曲を中心としたセットリストでライブを続けた50代。
そして、アイドル、タレントとしてではなく、一人の人間として表現活動を貫くために、批判を恐れず政治や思想にまで言及した60代。はた目には不器用に、時には奇行のようにすら映ったであろう彼の変化はすべて、変わらない自分──。つまり、現在進行形の沢田研二であり続けるためだった。