その男は、度重なる“引退説”をあざわらうかのように登場した。「週刊誌でよく言われてる、根強い人気の沢田研二」。自ら笑いを誘うと、長らく“禁断症状”に陥っていたファンはうれし泣き。やっぱり、スポットライトがよく似合う。ついにジュリーが、1年4カ月ぶりのライブを開いた。
「ザ・タイガース」でのデビューから54年、ソロ活動で50年。常に音楽シーンの第一線に立ち続けるロックスターのパフォーマンスは、この間のブランクをいっさい感じさせない強烈なパワーに満ちたものだった。
5月28日、ソロデビュー50周年記念ライブツアー「BALLADE」の幕開けとなる東京公演が、東京国際フォーラムであった。
「無事にこうして今日を迎えられたのは、幸運に幸運が重なりまくったということです」
新型コロナウイルスの感染拡大で昨年来、表立った芸能活動を控えていた沢田。実際、ライブのチケットは緊急事態宣言の前に売り出されていただけに懸念もあったというが、すぐに完売した。
活動自粛中は、ライブツアーの中止を余儀なくされ、さらにファンクラブを解散して事務所機能を縮小したことから、一部メディアからは引退説までも報じられた。
それだけに、ファンはこの日をどれほど待ちわびていたことか。実に、1年4カ月ぶりの晴れの舞台となった。
「こんな大変な時にこうして駆け付けてくださって本当にうれしいです」
その“復活”の瞬間を見守ろうと、集まった観客は約5千人。瞳みのるさん、森本タローさん、岸部一徳さんらザ・タイガースのメンバーの姿もあった。
ステージでの歌声を聴けば、ファンらの心配や不安はどこ吹く風。6月25日には73歳となる沢田に、そんな気はさらさらないことがすぐにわかった。声量みなぎるシャウトといい、よどみないMCの語り口といい、そのパフォーマンスは、声援が禁じられていた分、力のこもった拍手によって迎えられた。
開演前に長蛇の列となったライブは、厳しい入場制限や検温、消毒の影響で予定より25分遅れで始まった。
曲目はツアータイトル通り、バラードやミディアムナンバーを中心とした構成だった。これは収容人数についてフォーラム側と交渉するなかで、担当者から「ポップスやロックは50%までしかできないが、歌謡曲なら」という言葉を聞き出し、それを最大限に利用して収容率100%を実現するための選曲だったそうだ。
そんな苦慮があったとはいえ、「君をのせて」「追憶」「時の過ぎゆくままに」「渚のラブレター」など日本の音楽史を彩った名曲の数々と、沢田の熟成された歌声、それに寄り添う柴山和彦のギターのアンサンブルは聴く者をふるわせた。