松下洸平さん直筆の連載タイトルロゴ
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 太田 かっこいいですね、素敵なお母さんですね。

松下 草むらに分け入ってまで捜してましたね。無事に見つけることができたら家に連れて帰り、ケガしていたら、病院へ。治療が終わったら、里親を探すところまで一生懸命にやる母の姿を見て育ちました。

太田 へー、20年以上前ですよね。そんな時から……。

松下 はい。我が家には常に数匹の犬やがいて、みんな身寄りのない子ばかりでした。初めて飼った猫も捨て猫で。子猫の時に、車にひかれたのか足をケガした状態で道端でうずくまっていたところを拾ってきました。そこから14歳(人間の70代に相当)くらいまで生きてくれました。

太田 愛しい思い出ですね。

松下 そうですね。いつだったか、僕が中学生くらいの時に、ある日学校から帰ってきたら玄関に知らない犬がいるんですよ。またか、と。

太田 (笑)。

松下 母に「どうしたの?」と聞いたら、「迷子でキャンキャン鳴いてたから」と。その時、家には猫の他にすでに2匹の犬がいたのですが、母は「引き取り手が見つかるまではうちで飼いたい」と言って譲りませんでした。

太田 本当に逆ですね(笑)。お母さんが子どもに許しを請うわけですね。

松下 そうです(笑)。「ふーっ」と思いながらも、実家の小さな庭に新たに犬小屋をおいて、飼い始めました。ガリガリに痩せていたので、まん丸に太るくらい健康的に育ってほしいという願いを込めて名前は「マル」。かわいがっていたのですが、ある夜、大きな台風が来たので家の中に入れようとしたら、すでにいなくなっていました。どうやら雷の音が怖くて自分で逃げてしまったようでした。

「捜しています」と書いた貼り紙を作って、あちこちに貼りました。一生懸命に捜しましたが、見つからない。その時に、母が保健所のホームページをチェックし始めました。保護された犬が載っていると教えてくれて、その時初めて保健所のことを知りました。

太田 そんなきっかけがあったんですね。

松下 はい。毎日毎日、ホームページを見て、マルを捜しましたが、載ってない。2週間くらいしてから、自分たちの住んでいるエリアだけではなく隣町も見てみようと。でも、いない。諦めかける中、母が武蔵野市の保健所のホームページを見たら、そこにマルがいました。

太田 ああ、よかったですね。ちょっと遅れていたら、もう間に合わなかったかもしれないですしね。

松下 そうですね。ちょうど僕は1階でテレビを観ていた時で、2階の部屋でパソコンを開いていた母が「いたー!!」と大声で叫んでいたことを覚えています(笑)。

 自宅から武蔵野市までは車で40分ほど。母も「さすがにいないだろう」と思っていたようです。でも、引き取りに行った保健所で、檻の中にいるワンちゃんたちを見て、なんとも言えない気持ちになりました。

太田 殺処分については、まずは知ってもらわないとダメだと思っています。こうして貴重な機会を作っていただき、うれしいです。

〇おおた・かいさく
1979年生まれ、東京都出身。北里大学卒業後、数カ所の病院勤務を経て2011年12月、杉並区にハナ動物病院を開業。21年公開の映画「犬部!」のモデルになった

〇まつした・こうへい
1987年生まれ、東京都出身。1stアルバム「POINT TO POINT」、写真集『体温』発売中。23年8~9月、こまつ座40周年(第2弾)第147回公演「闇に咲く花」に出演予定

(構成/編集部・古田真梨子)

※1月30日発売の「AERA 2月6日増大号」では、対談の続きを掲載しています。

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