――当時の“四時会議”は相当濃密なものですね
村尾塾みたいなところがあって(笑)。麻央さんだけでなく、ADさんも会議に入っていて、若手の皆さんにはわからないことがあったらその場ですぐに質問してくれと言っていました。長生きしている分、色々な知識があるから麻央さんを始め若手の方々に話をしていたんだと思うんですよね。麻央さんはそれをしっかり蓄え、反応する、素晴らしいですよね。
麻央さんは隣のキャスター席ではいい意味で存在感がないと言いましたが、1回だけ麻央さんの存在を強く感じたことがありました。子どものいじめによる自殺を取り上げた時に、僕が真剣に悩んでいる子どもたちに向けての言葉を語りかけた時には、僕に同調している、共調の圧を感じました。僕はカメラに向かって話しているから、右隣にいる麻央さんの様子はわからないんだけど、圧を感じたのはその時だけでした。麻央さんも僕の言葉に共振してくれているなと。
――麻央さんにも変化があったのですね
がんになってからの麻央さんは、第一印象からこんなに強い人だったとは思ってもみなかったです。からだが衰弱していく過程の中でメールでやり取りをしたことがあったんですけど、ものすごく前向きなんですよ。「NEWS ZERO」でもメールを紹介させてもらったこともありますけど、死というものが頭の中をよぎる中で僕を始めスタッフに対して、前向きに生きている姿を見せていた。
麻央さんは、“亡くなってしまう悲しい人生だったと位置づけられたくない。彩のある人生を送った女性として見て欲しい”というような趣旨の言葉を残していて、卒業するまでの3年半の間「NEWS ZERO」で一緒だった時よりもものすごく成長されていた。人生の意味をよく考えていたんだなと感じていた。
麻央さんが亡くなった時の「NEWS ZERO」の放送で話したんですけど、人間いつまで生きるかは自分では決められないけれども、いかに生きるかは自分では決められる。麻央さんの人生を見ていて、そういう意味でも最後は強さを感じましたね。