――麻央さんはかけがえのない存在でしたね
よく僕はZEROファミリーっていう言葉を使うんですが、今の櫻井翔さん、星野仙一さんはじめファミリーって感じが強くありましたね。麻央さんもそういう中での1人でしたし、立ち上げからのメンバーですし、人柄も良かったので、みんなから慕われている感じは強くありましたね。
――麻央さんの病気はいつ知った?
僕は病気のことは皆さんが知った時期に聞いたので、最初、知った時は本当に驚きましたね。こんな若いのに本当につらい思いをされているだろうなと。海老蔵さんを支える身として、周りに気も使わないといけないし、そういう中で病気治療に専念できるのかなどいろいろ思いをめぐらせました。
「NEWS ZERO」をやっていたころは、被災地を訪れたり、子どもや女性の難病の取材だとかしていたのを見て、ものすごく優しい印象はあったんですが、麻央さんが病気になった後に、彼女の強さを感じるようになりましたね。
2016年、麻央さんが闘病中に「NEWS ZERO」の10周年を記念した写真展「ZERO10年写真展」をやったんです。その時に麻央さんもメッセージをくれて、その中に僕の言葉が入っていたんですよ。
【村尾キャスターが教えてくださった「人生は、転んだかどうかが重要ではない。どうやって立ち上がったかが重要だ!」という言葉がいつも私の支えになっています。今日が、よりよい未来への原点≪ZERO≫になりますように】
“四時会議”で僕が7~8年も前に言ったことがあって、“あぁ、あの時のあの言葉を麻央さんはこういう風に受け止めてくれているんだ”と思い、ずっと覚えていてくれて、それを支えにしてくれていることに胸が熱くなりました。
それ以外にも、僕も“四時会議”の時に中国の古典の話を度々していて、ある時、麻央さんから“主人が中国の古典に興味を持っているので、どんな本を読めばいいか教えてください”とメールをもらった。私は『論語』、『老子』、『荘子』などを紹介しました。麻央さんは2010年3月に「NEWS ZERO」を卒業していて、結婚後しばらくしてからのメールでした。“四時会議”で僕が言っていたことを心に引っかかったことはきちんと覚えていてくれて、結婚された後もそんな連絡をくれた。よく心に留めておいてくれたなぁと思います。