<子どもが待っているから、子どもの具合が悪いから、子どもが小さいから、という言葉は、言い訳に聞こえるのではないかとぐっと飲み込み、子どものおかげで人間として成長できた、責任感が生まれた、人の気持ちを思いやるようになったという言葉は、きれいごとに聞こえるのではないかと我慢した。しかし、今回はそのまま正直に答えた。隠すのも疲れた>
<ラーメンやハンバーガーみたいなものは絶対に食事にならない、外の食べ物は調味料が多くて体に良くない、と。そんなお母さんが、(略)一食ぐらい適当にすませても死なないと言う。人の考えが、言葉が、行動が、いつどう変わるかは誰にもわからない>
ナムジュさんは、自らに起きた変化についてもこう話す。
「『82年生まれ、キム・ジヨン』以降、女性の暮らしを書く作家と呼ばれることが、私を大きく変えたのは事実です。こうやってインタビューを受け、読者と会って話を聞き、応援と、それと同じだけの非難を受けながら思考と感覚の領域が広がり、たくさん成長したと思います。人の感受性と価値観は不可逆的な面があり、私はもう以前の私には戻れそうにありません」
緑色のときに収穫されてひとりで熟したミカン、日光からの栄養分を最後までもらって熟したミカン。常に感情のはざまで揺れ動き続ける少女たちは、自分はどちらのミカンに近いのかと、自問自答する。
主人公の一人、ソランの答えは、こうだ。<ゆっくり答えを探していけばいいと。まだそんな歳だと>
ナムジュさんの社会を見つめる視線は鋭いが、紡ぐ言葉は温かい。本作が『82年生まれ、キム・ジヨン』と並んで、もう一つの「私たちの物語」と共感を呼んだゆえんは、ここにある。(編集部・三島恵美子)
※AERA 2021年6月28日号