「趣味が高じる子どもっぽいところも立花さんの魅力でした」(蜷川さん)
旺盛な好奇心が偉大な足跡の原動力となったのだろうが、その道のりはエリートコースとは言い難かった。立花さんと同時代を生き、現在も精力的に取材活動をしているルポライターの鎌田慧さんがこう証言する。
「彼は文学青年で、小説を文学雑誌に応募していたけれど入選しませんでした。東大卒業後、文藝春秋に入社して週刊文春に配属されたが、辞めて東大の哲学科に入り直します。学費を稼ぐために週刊誌の記事をまとめるアンカーマンも務めました。新宿ゴールデン街でバーも始めたが、その店を譲って、ヨーロッパ諸国を放浪しました」
そんな立花さんが初めて出版した単行本が『素手でのし上った男たち』(69年刊)だった。鎌田さんが続ける。
「そこに僕が書いたものも2編収録することになったのですが、僕も立花さんもフリーライターはみんな素手でのし上がっていったといえます。立花さんはどこか屈折したところのある人でした。彼は初めから“巨人”ではなく、屈折と挫折が『立花隆』をつくり上げたのだと、強く感じましたね」
教育者として、後進の指導にも熱心だった。現在、東京農工大学グローバル教育院准教授を務める岩田陽子さんが、JAXA(宇宙航空研究開発機構)に勤務していた2012年当時、仙台市の小学校で「宇宙を考える」授業を立花さんに願い出た。立花さんは引き受け、宇宙科学の最先端について小学生と一緒に議論した。岩田さんが述懐する。
「立花さんの話に子どもたちは食らいついて、質問したり自分の意見を述べたりしました。授業後、立花さんは『小学生ってすごくいいね』と感心していました」
立花さんと教育を巡るキーワードは「常に思考すること」だった。
「答えは一つじゃない。常識と言われていることでも本当は常識ではないかもしれない。常に問い続けることを大事にする。思考を止めたら人間は終わる。そう教えられました」(岩田さん)
まさに、そのことを実践した生涯だった。(本誌/亀井洋志、鮎川哲也、堀井正明)
※週刊朝日 2021年7月9日号
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