資料をインプットすると、すぐに見出しになるような仮説を立て、記事の設計図ができる。データマンの取材は、その検証作業だった。その緻密(ちみつ)さに、蜷川さんは舌を巻いたという。
「仮説が見込み違いだったことは、ほとんどありませんでした。本当に仕事に没頭する人で、編集部で午前3時まで打ち合わせをして、帰宅すると4時くらいになっているんだけど、立花さんからまた電話がかかってくる。『さっきの話なんだけどさ』って」
田中氏のファミリー企業が買収した信濃川河川敷の土地についても再調査した。土地の登記簿を徹底して取ると、すでに借金の担保に入れられ、田中氏の政治力の凋落(ちょうらく)は明らかだった。当時、データマンの一人で、後に本誌編集長を務める鈴木健さんがこう明かす。
「立花さんの指示で、新潟の法務局に行って片っ端から調べました。できあがった記事を読んで、初めてあのデータはこういうことだったんだとわかりました。調査報道の醍醐(だいご)味を感じさせられた経験でした」
仕事人として語られることが多い立花さんだが、趣味人でもあった。仕事同様、徹底してのめり込んでいくタイプだ。オーディオマニアで、自宅に防音装置を入れてスタジオをつくり、クラシック音楽などを聴いていた。
ある時、蜷川さんがインド特派員のころの友人が来日した。彼はインドの弦楽器シタールを演奏するインド古典音楽のボーカリストだった。蜷川さんからそのことを聞くと、立花さんは「ぜひ、うちで演奏会をやろう」と言いだした。
「当時、連載をお願いしていた妹尾河童さん(舞台美術家、エッセイスト)を演奏会のお客さんに呼んだら、立花さんと意気投合して仲良くなった。話はだんだんエスカレートしていって、立花さんのスタジオで録音し、インド音楽のLPレコードを自主制作することになったんです」
プロデューサーは立花さんで、レーベル名は「Chez TACHIBANA(シェ・タチバナ)」。デザインは妹尾さんが担当し、ジャケットに著名な版画家・中島通善さんの作品を載せた。初回限定で366枚制作したが、1枚ずつ版画作品が異なる豪華版。六本木のレコード店へ持っていくと完売した。