スリーアウトを取るには最低でも3球を要するはずなのに、たった2球でスリーアウトチェンジが成立してしまったのが、19年の北北海道大会十勝地区1回戦、帯広緑陽vs帯広工だ。

 2対0とリードした帯広緑陽は3回、先頭の前田耀太が初球をスイングした際に、バットが捕手のミットに当たり、打撃妨害で出塁した。

 無死一塁で次打者は初球を打って一直。飛び出していた一塁走者・前田は戻ることができず、併殺で2死となった。

 そして、次打者も初球を打って、内野フライでスリーアウト。

 この結果、打者3人、計3球でスリーアウトチェンジになったが、大会本部の公式記録員が打撃妨害を記録上、投球数にカウントしない方式を採用していたことから、たった2球でスリーアウトが成立した。

 野球規則では、打撃妨害を投球数に含めるとも含めないとも記述されていないため、この試合のようにカウントされないケースもあるのだ。

 公式記録の記載方式と3者連続初球打ちが組み合わさって、思わぬ珍事を生んだ。

 打者が死球で負傷したり、走者が負傷して、プレー続行が困難と判断されたときに送られる臨時代走。通常出番は1回限りのはずだが、1イニングのうちに同じ選手が2度にわたって臨時代走を務める珍ハプニングが起きたのが、19年の長崎大会1回戦、長崎鶴洋vs諫早だ。

 5点をリードされた長崎鶴洋は9回裏1死一、二塁のチャンスで、この日三塁打を放っている2番・古場海心に5打席目が回ってきたが、捕飛に倒れ2死。これが高校3年間で最後のプレーになったと思い、「打ち上げた。恥ずかしい」と天を仰いだ。

 だが、野球の神様は、思わぬ形で挽回のチャンスを与えてくれた。

 次打者・浜口速人が中前安打を放ち、一塁ベースを駆け抜けた直後、足を吊って倒れ込んでしまったのだ。浜口は治療のためベンチに下がり、打順が最も遠い古場に臨時代走として出番が回ってきた。

 一度脱いだヘルメットをかぶり直し、一塁走者になった古場は、次打者・福田裕希のフェンス直撃二塁打で、長駆生還。2点差に追い上げた。

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