殴られるのは痛いし、リングに上がるのは毎回怖い。それでも、ボクシングは続けたかった。
「20代の半ばで急性硬膜下血腫と脳挫傷になって病院に運ばれたときは、親は『息子さんは助からないかもしれません』とまで言われたようです。こっちはそんなことは知らないから、意識が戻ると、退院したらまたボクシングができると思っていました。退院するときに、『実は君はもうリングに上がることはできない』とお医者さんから宣告されたときは、それはもうガクッときましたね」
ボクシングについて語るときの赤井さんは、なんともいい表情をする。リングに立って、自分の中の野性を呼び覚ます行為は、とんでもない非日常体験なのだろうか。
「いやいや、そんなカッコいいものじゃなくて、ボクシングをやっているときだけは、外野はどうでもよくなるんです。とにかく練習さえすれば、やった分だけ、ちょっとずつうまくなっていく。練習は嘘をつかないんだって思えることが、たぶん一番の快感ですね」
孤独であることを噛み締め、たった一人の世界の中で、自分が昨日とは違うものになっていく。その快感がボクシングだとすれば、映画やドラマ作りに参加することは、裏方、エキストラ、ドライバーも含め、何十人、何百人で一つのものを作っていく共同作業で、人と心が通い合う感覚がある。
「たった一度きりの人生の中で、仕事を通して種類の違う二つの快感を体験できていることは、幸せかもしれないですね」
現在61歳だが、がっしりとした風貌は「どついたるねん」のときとさほど変わっていない。若さの秘訣を聞くと、隣にいた佳子さんから、「足湯じゃない?」と促され、赤井さんは足湯をやるようになった経緯について話し始めた。
「30年ぐらい前、初めてのコマーシャル撮影で上京して、新宿のヒルトンホテルに泊まっとったことがあったんです。明日撮影日なので体作ろうとジムでトレーニングしてたら、スクワットに失敗して腰を痛めまして。救急車で病院に運ばれた。先生が、『これは手術です』って言うので、明日撮影日なのにそれはあかんと、その2年前ぐらいに知り合った整体の先生のところに電話をかけた。そしたらその先生が、手術もしないで治してくれはったんです」
先生からは、「冷えはすべての元凶。心臓から一番遠い足から時間をかけて全身を温めることによって、健康は保てる」と教わった。以来、足湯器を買って30年。毎日足湯をすることで健康をキープしている。(菊地陽子 構成/長沢明)
赤井英和(あかい・ひでかず)/1959年生まれ。大阪府出身。元プロボクサー。引退後は俳優に転身し、88年デビュー。阪本順治監督の「どついたるねん」は、89年のブルーリボン賞作品賞、キネマ旬報ベスト・テン日本映画第2位に輝いた。主に大阪ではバラエティータレント、東京では俳優として活躍。アマチュアボクシング指導資格を持ち、母校の近畿大学ではボクシング部の名誉監督を務める。
※週刊朝日 2021年7月16日号より抜粋
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