下重暁子・作家
下重暁子・作家
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※写真はイメージです (GettyImages)
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 人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、熱海で起きた土石流について。

*  *  *

 どこかで見た風景だった。3・11。あの時の圧倒的な勢いで流れる黒い水……津波だ。

 山津波とは土石流のこと。熱海市伊豆山の山中から家々を海まで押し流した土石流の映像に、あの時と同じ恐怖を抱いた人も多かったはずだ。

 NHKで真っ先に報道された時、違和感を抱いた。「伊豆山寺院の住職の話によると……」

 女性アナウンサーは、報道デスクの書いたであろう原稿を何度も繰り返す。

「伊豆山に寺はあったっけ?」

 すぐ、伊豆山神社のまちがいであると気付いた。私はあの辺に詳しいのである。毎年必ず正月明けの十日前後に、有名な老舗旅館に泊まって伊豆山神社におまいりに行くのが恒例であった。緑の合間から海がちらと見える。長い石段と急な坂。熱海の街の多くは崖地に建っている。それだけ岩盤がしっかりして地震には強いと言われている。

 旅館、ホテル、保養所などが散在する伊豆山は、街中の喧噪を一歩離れた好きな場所であった。

「伊豆山寺院の住職は……」

 まだ同じアナウンスが流れる。誰も注意しないのだろうか。視聴者からの指摘もないのだろうか。有名な神社だけに、誤りは早く修正しなければと気が気でない。私もNHKに昔いたことがあるので、急な災害時の放送には誤りもあるし、みんな一刻も早く伝えねばとドタバタしている様子は手にとるようにわかるが、少なくとも私の見ていた間中「伊豆山寺院の住職」は修正されることがなく、イライラしてしまった。

 神社と言い換えられてからも何の訂正もなかった。家族や知人友人の安否を気遣う人にとってできる限り正確な情報を流して欲しい。

 新幹線で東京から一時間弱、便利でしかものどかな気候。老後を過ごす人も多く、実際、被害を受けた母の安否を案ずる息子さんは、「地盤はしっかりしているし、安心して楽しく余生を送っている」と母は満足していたと語っていた。

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