三浦さんは2014年に初めてラオスを訪れ、ラオ・フレンズ病院で現地の子どもたちと関わるようになった。その後、1年に1度はラオスを訪問し、HIVに感染した子どもなどを援助する活動を続けた。
三浦さんと一緒に活動してきた、NPO法人「フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN」の赤尾和美代表は、一周忌を前に取材にこう答えた。
「誰一人として同じ人生はない方々が一つのゴールを目指していく中で、そのゴールを見届けることなく、お亡くなりになることはこれまでにもありました。それはとてもとても残念なことですが、私たちはそのような方々の思いを大切に、また最終ゴールを見せられるよう日々前を向いていくことが大切なことだと思っています。
下を向いていても上を向いていても時間は前にしか進まないということを自分の母の死を経験した時に実感しました。それは、過去を忘れるということではなく、たくさんの方々の思いが詰まった過去からつながる未来へ歩むということだと思っています。引き続きその思いをもってラオスのすべての子どもたちが健康でいられるように努めたいと思います」
1年たった今も、さまざまな人の心の中で、三浦さんは生き続けている。(取材・文=AERA dot.編集部・上田耕司)