一九三八年には国家総動員法の最初の発動があった。日本ぜんたいが盆踊りどころではなくなった。戦争の時代には軍国主義をたたえる盆踊りが推奨されたが、そんなものはなんの役にも立たないままに、日本は敗戦を迎えた。『盆踊りの戦後史』の著者によると、盆踊りは火が消えた状態になった、という。

 戦後の日本で盆踊りが復活したのは一九四六年からだという。敗戦の明くる年ではないか。阿波おどりがこの年に復活した。市民のあいだで阿波おどりへの欲求が高まり、それを受けて徳島県が進駐軍におうかがいを立てたところ許可され、市役所前で阿波おどりはおこなわれ、多くの人々が夢中で踊ったということだ。一九四六年には日本のさまざまなところで盆踊りが復活した。いま僕は東京の玉川学園というところに住んでいるが、一九四六年、小田急線のこの駅前で盆踊りがおこなわれたと、本書に書いてある。

「この時期の盆踊りの多くは、戦没者を供養するとともに、敗戦の暗いムードを吹き飛ばそうという明確な目的を持っていた。ただでさえ貧しく、娯楽の少ない時代。盆踊りは人々にとって数少ない楽しみのひとつであり、救いの場でもあった」

 一九五二年の日本では町内会が復活した。戦争中の日本国家が国民に強制した相互監視組織の隣組につながるからという理由で、進駐軍によって禁止されていた。それが新しい時代のなかで復活したのだ。戦後の僕が子供の頃に見て心のなかに謎として残った盆踊りは、復活した町内会ないしは類似の組織による、新しく作られた盆踊りだった。

週刊朝日  2021年7月30日号