東京五輪がいよいよ開幕した。直前までゴタゴタが続いた開会式は、波乱なく終わった。元五輪選手の有森裕子さんは、この式典に何を感じたのか。AERA 2021年8月2日号で話を聞いた。
* * *
本当に複雑な状況のなかでの開幕になりました。五輪は開会式でスタートします。先に一部の競技は始まっていますし、開会式自体も大部分は観客と関係者のためのエンターテインメントです。しかし、開会宣言と聖火の点火は式事として大切で、アスリートにとっても「それをもって競技をスタートする」という神聖なものです。
その開会式を終えたいま、正直、複雑な気持ちです。私は五輪に支えられ、育てられた人間です。1992年バルセロナと96年アトランタの2大会に出場した時は皆さんに応援していただき、メダルをとったときは本当にたくさんの人が喜んでくれた。そんな声援に支えられてきました。その後の人生も、五輪によって切り開くことができた。五輪がアスリートに与える影響の大きさを、身をもって体験・体感しています。
でもいま、東京大会に出場するアスリートにそんな姿を想像することが少し難しい。せっかく日本で五輪が開かれるのに、それを心から喜びづらく、複雑な思いを抱えてこの日を迎えてしまったことが、自分の無力さが感じられて残念です。
五輪はこれまでも、何事もなく開かれてきたわけではありません。私が初めて出場したバルセロナ大会のときは旧ユーゴスラビア内戦下で、初めて「五輪休戦アピール」を採択した大会でしたし、アトランタ大会では開催期間中に会場近くの公園で爆弾テロ事件がありました。
■賛否の中にも機微
そんな歴史のなかでも、今回は関係するすべての人たちが困難を抱えた大会だと思います。「アスリートが大変」という意見もありますが、みんなが様々な困難を抱えていますし、誰がいちばん大変か順位づけを考える必要はないと思います。
受け止め方もそれぞれの立場、見方によって全く違うでしょう。終わった後に成功だったと捉えるか、失敗だったと見るかも人それぞれです。だから、一つの評価だけが誇張されるべきではないし、私やほかの誰かの意見が象徴的に取り上げられるべきでもないと思っています。