三宅宏実は試合後、二人三脚でメダルを目指してきた父・義行さんについて「最後はメダルをかけてあげたかったな」と話した/7月24日、東京国際フォーラムで (c)朝日新聞社
三宅宏実は試合後、二人三脚でメダルを目指してきた父・義行さんについて「最後はメダルをかけてあげたかったな」と話した/7月24日、東京国際フォーラムで (c)朝日新聞社
この記事の写真をすべて見る
三宅義信さんは2大会連続で金メダルを獲得したが、「5大会出場は金メダルを取ることよりも難しい」と姪の宏実をたたえた(撮影/写真部・加藤夏子)
三宅義信さんは2大会連続で金メダルを獲得したが、「5大会出場は金メダルを取ることよりも難しい」と姪の宏実をたたえた(撮影/写真部・加藤夏子)

 重量挙げの三宅宏実が東京五輪で5大会連続出場を果たし、現役引退を表明した。その偉業について、1964年東京五輪重量挙げ金メダリストで伯父の義信さんが語った。AERA 2021年8月2日号の記事を紹介する。

【写真】三宅宏実さんの父・三宅義信さんはこちら

*  *  *

 東京五輪の競技が本格スタートした7月24日、重量挙げ女子49キロ級で三宅宏実(35)が登場した。夏季五輪では柔道の谷亮子さん(45)に並ぶ日本女子最多の5大会連続出場となった。「競技生活の集大成」と位置付けた今大会は記録なしで3大会連続のメダルは手にできなかった。

「完全燃焼です。次の人生も同じくらい充実させたい」

 現役引退を表明した。

■ジャークを3回失敗

 競技は、一気に頭上までバーベルを持ち上げる「スナッチ」と、一度鎖骨の位置までバーベルを持ち上げ、次の動作で一気に頭上に差し上げる「ジャーク」のトータルで争う。試技は各3回。三宅はスナッチの1回目で74キロを挙げたが、ジャークは3回とも失敗した。

 1964年東京五輪の重量挙げ男子フェザー級で金メダリストとなった伯父、義信さん(81)=東京国際大学監督=は大会前、こう話した。

「五輪に5回出るなんて夢みたいな話。5大会出場というのは、1460日(4年間)の鍛錬を5回も繰り返すんです。しかも年齢を重ねれば筋力も低下する。金メダルを取ることよりも難しいことを宏実は成し遂げた」

 さらに、今大会は新型コロナウイルスの影響で、五輪史上初めて1年延期された(夏季大会の中止は過去に3度)。義信さんは言う。

「重量挙げは『計画なくして勝利なし』の競技です。私は東京で金メダルを取るために(銀メダルだった60年ローマ)五輪が終わった直後にローマの地で計画を立てて、4年かけてピークを作りました。体を作っていくには綿密な計画が必要です。それが1年延びるのは大きな誤算。10代や20代前半だったらどうってことないけど、年をとればとるほど疲れやすく、けがも多くなる。35歳になった宏実は東京五輪だからもう一度花を咲かせようと思った。出場するだけでもすごいことです」

次のページ