■“私”を愛してほしかった

 鬼の頂点にいる無惨の五体をいとも簡単に斬り離した縁壱なのに、兄であった黒死牟にはとどめを刺せぬまま、老衰によって絶命する。

 縁壱の死に動揺した黒死牟は、縁壱の遺体に刃を振るい、その身体をバラバラにした。その瞬間、縁壱の胸元から、あの懐かしい「笛」がこぼれ落ちる。

<いただいたこの笛を兄上だと思い どれだけ離れていても>(継国縁壱/20巻・第177話「弟」)

 かつて縁壱は亡き母にもらった、太陽の模様の耳飾りの「お守り」を、ある人物に手渡していた。大切な物だったが、それを譲ることは惜しまなかった。それなのに。

 兄にもらった笛だけは手放せない。どうしても手放すことができなかった。「助けにくる」と言ってくれた兄の言葉を忘れることができない。兄は鬼になってしまったというのに。そばにいてくれない兄。それでも縁壱はこの笛を持ち続けた。

 縁壱は、剣豪ではない自分を愛してほしかった。兄と遊び、語らい、自分の家族を幸せにできる、そんな自分になりたかった。最期までその願いはかなわぬままだった。

◎植朗子(うえ・あきこ)
1977年生まれ。現在、神戸大学国際文化学研究推進センター研究員。専門は伝承文学、神話学、比較民俗学。著書に『「ドイツ伝説集」のコスモロジー ―配列・エレメント・モティーフ―』、共著に『「神話」を近現代に問う』、『はじまりが見える世界の神話』がある。

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