元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。
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コロナの感染者急増に伴い、ロックダウンという言葉が表立って言われるようになってきた。全国知事会が国に緊急要望。首相会見でも記者から質問がなされたそうである。
どうもわからない。皆様ロックダウンを待望しているのか? 確かに私の周囲でも、国が手ぬるいからこんな事態になっているのであり、早急にロックダウンしろと主張する方がおられる。緊急事態宣言の効果がないので「強制」しないとどうにもならないとの主張かと推察する。
個人的には、このような意見に非常に驚いている。
確かに、宣言は屁のようなものになってしまった。当然と思う。何の説得性のある説明もないまま五輪を強行開催して世界から人を集め、一方で、県境越えは控えよとか不要不急の外出するなとか、どの口で言うかというのが通常の人間の感想というものであろう。私の住む町でも、控えていた酒の提供を再開する店は五輪を境に急増した。それは自粛疲れでも危機感のなさでもなく、そのような政策を行う方々に頼っても先はないという判断の表れかと思う。私もそのような判断をしている一人であり、そのことを恥ずかしいとも社会性がないとも思っていない。国判断でなく自己判断で行動に注意しつつ、やるべきことはやるとの思いを日々強めている。
で、ロックダウン。それは、そのような個人の判断を強制停止させることだ。確かに感染者は減るだろう。で、解除したらどうなるのか。再び感染者は急増し、同じことの繰り返しである。新たな変異株も登場しワクチン効果も怪しくなるだろう。出口はあるのか。ロックダウンをいうならそこをセットで語って欲しい。
それにしても、世界有数レベルの医療資源を、非常事態にちゃんと活用できる体制づくりが未だ実現されないのはどうしたことか。一部の医療機関に過重負担をかけている問題が、安易に「医療ひっ迫」と表現され続けることに引っ掛かりを覚える。コロナに「かかっちゃいけない」社会から「安心してかかれる」社会への転換を切に望む。
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
※AERA 2021年8月16日-8月23日合併号