事件は、その社会の問題の多面性を表すことがあります。この小田急刺傷事件は、一つには、冒頭に述べたとおりに「ミソジニー事件」として、女性にとって被害は他人ごとではないという側面があります。それと同時に、対馬容疑者が陥ったように貧困や学歴崩壊など社会的に弱い立場に追いやられたら、攻撃性が更に弱者に向かうことがあっても不思議ではないという人間の一面も表しています。またコロナ禍でもともと脆弱な立場にいた人たちがますます追いつめられた結果とも言えます。



 犯行前に対馬容疑者は、食料品店で万引きをした時に女性店員に通報され、駆け付けた警察官に自宅まで送り届けられたものの、女性店員に仕返ししようとして店に戻っていました。店は閉まっていましたが、その対馬容疑者の行動を後で知った女性店員は震えあがったことでしょう。痴漢の通報で仕返しされた女性もいます。女性の恐怖心は強まったと思います。

 一方でもしも、対馬容疑者のようにさまざまな事情で追い詰められている男性が、故意でなくとも誰かに自尊心を傷つけられたら……。もちろん、他人に危害を加えることはあってはならないことです。ただ、思わず目の前の自転車を蹴るなど、何かに当たりたくなるような感情が沸いてきてもおかしくありません。女性の場合、そうしたとき、外に向かうより自分を傷つける自傷行為に走る傾向があります。

 この事件を「ミソジニー犯罪」と呼ぶか、「貧困と学歴崩壊が招いた犯罪」とするかによって、問題の捉え方は違ってきますよね。

 これまで、犯罪には、加害者と被害者をつなぐ、動機という必然の糸があるとされてきました。しかし近年、その糸がなくなり、「通りがかり」や「偶然」の事件が増えています。これをポストモダン型犯罪と呼び、専門家は「世間がなくなった」からと説明しています。顔見知りの人間関係が希薄になり、SNSがそれを加速させているとされます。加害者には、犯行の理由があったとしても、被害者はそれを受ける理由がわからないのです。だからこそ、より被害者の傷が深くなってしまいます。その被害の矛先が女性に向けられるという事実に、向き合うことも大切な視点ではないでしょうか。

(構成・AERA dot.編集部 岩下明日香)