これにより、女性であるというだけで、誰もが被害者になり得るという恐怖を、女性たちが共有していきました。
事件現場近くにある江南駅舎には、たくさんの女性たちが訪れ、被害女性を哀悼する聖地となりました。女性たちはポストイット(付箋)に哀悼の言葉とともに、自身が男性から受けた理不尽な体験などを書いて、駅の出口に貼り付けていったのです。それがわずか2、3日でおびただしい数になりました。しかも、一週間後の雨予報が出た時には、ソウル市長の英断により、張り出されたポストイットを濡れないように回収して、一部をソウル市女性家族財団の壁面に張り出して復元させたのです。さらに、予算がついて、3万5千余りのポストイットに書かれた内容をデータベース化しました。
私はソウル市女性家族財団を訪れて見てきたのですが、おびただしいポストイットが天井に届くほど壁を埋め尽くしていました。下記は、つづられたメッセージを日本語に訳してもらったものの一部です。
「あなたは殺された、私は生き残った。だから私はもう黙らない」
「わたしは運がよくて生き残っただけ」
「女は男を怒らせるな、いつも控えめに、夜遊びをするなと言われてきた。女も人間だ」
「私は性暴力サバイバー。私や殺された彼女のような女性を、これ以上増やしたくない」
実は、この当時、私の著書『女ぎらい――ニッポンのミソジニー』が韓国語に翻訳されたばかりで、不幸な事件がきっかけとなりましたが、これによって韓国で「ミソジニー」という言葉が広まりました。「ミソジニー」という概念は、まだ日本でもそれほど認知されていませんでした。
今回の小田急線刺傷事件と江南ミソジニー殺人に共通しているのは、無差別ではなく、加害者は逃げられない空間で、自分よりも弱い女性を真っ先に狙っていたということです。報道によると、対馬容疑者は大学中退後、職を転々とし「俺はなんて不幸な人生なんだと思っていた」と逮捕後に話していたとされます。派遣会社に登録して工場などで働いたが、生活に困窮し、数カ月前から生活保護を受給していたなどの詳細も見えてきました。
貧困や非正規雇用、学歴崩壊などが背景にあるという解釈もできるでしょう。しかし、なぜそれで女性を狙うのでしょうか。解雇した会社や使用者、ピシッとしたスーツに革靴をはいた“勝ち組男”が狙われる可能性だってあるでしょう。しかし、使用者や勝ち組男に憎悪の矛先は向かわず、抵抗しない弱い対象に攻撃が向かうのです。DV夫がよそで受けたストレスを、弱い立場の妻に向けるのと構図が似ています。