そんな空気が今よりもずっとずっと露骨に社会にあった時代だ。そういうなかで、単なる買春だったはずの「慰安婦」が、壮絶な性暴力だったと日本政府を訴える当事者の声は、とんでもない衝撃だったのだ。訴えられるようなことではなかったはずなのに……例え訴えられるようなことだと思っていても「性」を売っていた女性が訴えられるはずがないとたかをくくっていたのに……。金学順さんの提訴は、もうこの問題を無視して通ることができないと、日本社会につきつけたのだと思う。
今年の8月14日、先日出版された「『日韓』のモヤモヤと大学生のわたし」を記した一橋大学社会学部の学生と、「慰安婦」女性たちに絵を教えていた韓国人女性が記した「咲ききれなかった花」の翻訳出版クラウドファンディングを立ち上げた若者たちとオンラインイベントをした。
生まれた時からあたりまえにK-POPや韓流ドラマがあった世代が、「日韓関係」として語られるものの根底にある「歴史」に真摯に向き合い、公に語られる「最悪な日韓関係」と、自分たちが学んだ歴史やジェンダー問題とのあまりのギャップに戸惑っている現実がある。そんな若者6人と「『慰安婦』をどのように知りましたか?」「どんな歴史教育を受けてきました?」というような話をした。
学生たちから印象に残る話をたくさん聞くことができた。
「入管でウィシュマさんが医療にもかかれず死んでしまったこと、多くの人が反対するにもかかわらず五輪が強行されたこと、『慰安婦』問題が解決されていないこと、全てばらばらのことだけれど、全て一つの線でつながっているようにみえる」
「ヘイトクライムや、ヘイトスピーチをする人とも議論しなければいけないと言われるのがとても違和感がある。議論は大切だが、そこを越えてはいけない、絶対にやってはいけないという共通の認識が、日本社会にないことが怖い」
30年前、大学生だった私がこんな日を想像しただろうか。あの頃、「こんな大変な問題は、当事者が声をあげたのだから、きっと解決できるはず」と私は衝撃を受けながらもそう楽観的にいた。まさか30年を経て、「解決されていない」問題として今、大学生らがもがくように学ぶ姿をみて胸が痛くなる。