作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、「慰安婦」の存在が日本社会で認識されてからの30年についてふりかえります。
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韓国の「慰安婦」被害者、金学順さんが声をあげてから30年となる夏を迎えた。金学順さんが韓国で顔を出し本名で声をあげた1991年8月14日、日本のメディアは金学順さんの第一声をほとんど報道していない。もちろん一部報道はされてはいるが、大学生だった私がそのニュース自体を読んだかどうか記憶が曖昧だ。確かなのは、あの夏の大ニュースは旧ソ連のクーデターであって、金学順さんではなかったことだ。
私が金学順さんの名と顔を記憶したのは、多くの日本人がそうだったように、その年の12月6日のことだった。アジア太平洋戦争で人生を奪われた韓国人の元軍人・軍属やその遺族ら約30人とともに日本政府を提訴したことが、大きく報道されたのだ。金学順さんの他に「慰安婦」被害者は2人いらっしゃったが、顔を出して記者会見をし、テレビカメラの前で悔しさを全身ににじませ日本政府の責任を訴えた金学順さんの声は、連日繰り返し報道された。
もちろんそれまでも「慰安婦」の存在は一般に知られていた。戦争ものの映画や小説で、元軍人らの語りとしてよく描かれていたし、左翼的な表現物の中にも多少エロティックな要素を含んだ歴史事実として表現されていた。
なにより、「慰安婦」被害当事者自身も声をあげていた。日本人「慰安婦」だった女性が「マリヤの賛歌」という本を「城田すず子」という仮名で執筆したのは1971年のことだ。そこには戦火のジャングルで死の恐怖におびえながら性暴力を受ける日常が記されており、「かつての同僚がマザマザと浮かぶのです。私は耐えきれません」という言葉が残されている。「城田すず子」さんは、性産業に巻き込まれ、行き場を失った女性たちが暮らす施設「かにた婦人の村」で暮らしていたが、1985年には施設内に「慰安婦」の女性たちのための慰霊碑を設立し、その年に「城田すず子」さんの肉声を報道したTBSラジオは第12回放送文化基金奨励賞を受賞し大きな話題になってもいる。