最初のレースは7月24日、女子400メートル個人メドレーの予選です。しかし、この日の最初に行われた男子400メートル個人メドレー予選で日本チームにとって大きな誤算がありました。金メダル候補の瀬戸大也が全体の9番で8位までの決勝に進めなかったのです。私は観客席でレースを見終えると、すぐ控室の大橋のもとに走りました。

 大橋は壁に寄りかかって、青い顔をしていました。「おい、悠依、大也の結果聞いたか」と話しかけると、「先生、怖いです、怖いです」と言うのです。いつも通りに泳げば決勝進出は間違いありません。もう一度、泳ぎ方を確認して、気持ちを落ち着かせました。レース前の招集所まで一緒に行きましたが、そこでも「怖い、怖い」と。私は「心配すんな、順位とかそんなの気にするな」と話し、最後はハグをして送り出しました。

 予選は4分35秒71。予選2組トップ、全体の3位で決勝に進みました。あの状況で、よく落ち着いて泳いだと思います。

 ここから私の重要な役割は、ライバルを1人に特定して決勝の展開を読んで大橋に伝えることです。ライバルの過去のデータと前に見た泳ぎの印象を覚えていて、「この選手は金メダルの勝負には関係ない」と捨てていくことが重要です。

 今回は前回リオ五輪金メダルのホッスー(ハンガリー)の予選の泳ぎから、これは来ないと確信。ライバルのターゲットは銀メダルを獲得したウェイアント(米)に絞っていました。最後の自由形が強い選手ですが、平泳ぎまでは大橋がリードできます。最後の自由形で300メートルから350メートルまでしっかり泳いで差を詰められなければ、逃げ切れると考えました。

 決勝は想定通りのレースで、2位のウェイアントに0秒68差の4分32秒08で金メダルを取りました。これで大きな自信を得て、200メートル個人メドレーは予選、準決勝、決勝と周囲がよく見えていました。決勝は2コース。最後の自由形でトップを奪う想定通りの展開で2冠を達成しました。

 私がアドバイスしたり、トレーナーらのサポートがあったりしましたが、金メダルが取れた最大の要因は、悠依自身が自分をコントロールできたからです。最終的に200メートル個人メドレー決勝は心技体すべてをコントロールできていました。(構成 本誌・堀井正明)

平井伯昌(ひらい・のりまさ)/競泳日本代表ヘッドコーチ、日本水泳連盟競泳委員長。1963年生まれ、東京都出身。早稲田大学社会科学部卒。86年に東京スイミングセンター入社。2013年から東洋大学水泳部監督。同大学法学部教授。『バケる人に育てる』(小社刊)など著書多数

週刊朝日  2021年9月3日号

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