昨今、災害大国日本の弱点は「食」にあることが指摘されている。東日本大震災で長く避難所生活を送った男性がそのつらさを教えてくれた。
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岩手県釜石市に住む菊地信平さんは2011年3月11日に被災し、150日間も避難所生活を余儀なくされた。写真館を営む菊地さんは、配給された食事を全て写真に収めた。その写真をもとに当時を振り返る。
最初のころは、おにぎりが出るだけまし、といった感じ。(岩手銘菓の)「かもめの玉子」1個と煎餅1枚という昼食もあったくらいだから。
とにかく汁ものを食べたかった。3月24日に友達の家に行ってカップラーメンを食べさせてもらったときは、感激したね。一滴の汁も残さず完食した。避難所での最初の汁ものは、3月27日の昼食。おにぎりと一緒に素うどんが出ました。
避難所ではストレスもたまるし、原因は食だけでないだろうけど、70代の女性が体調を崩して真っ青になって倒れてしまったこともありました。
それでも食べさせてもらえるだけありがたかった。家が無事なので、自宅で過ごす人もたくさんいたけれど、電気もガスも水道も使えないので、自宅で料理なんかできるわけない。そういう人がご飯の時間に避難所にやってきても、配給の食事はもらえない。避難所で過ごしていないから、と。かわいそうでした。
避難所生活をしていると、普段食べてるものを食べたいと思うんだね。パンやピザが配給されたときは、お年寄りは「いらない」と言って若い人にあげていたね。
私は無性に刺し身を食べたくなって。ある日、誰かが刺し身を手に入れてきたんだよ。よし、今夜は刺し身だぞと喜んでいたら、その日に限って食事がカレーライス。白米で食いたかったなあ(笑)。
嬉しかったのは、避難所に相撲取りの皆さんが来て、ちゃんこ鍋を振る舞ってくれたとき。汁もののありがたみと皆さんの温かみを感じました。
※週刊朝日 2021年9月10日号