■「仲さん人形」も帯同
13年に東京大会の開催が決まり、何かスポーツをしたいと思った。始めたのが、母が大学時代にしていたアーチェリー。最初は自分で矢を弓にセットすることも、的に刺さった矢を取ることもできず、母が上京する数カ月に1度しか練習できなかった。10メートルの距離が打てるまで3年かかった。
事故の後遺症で体幹の筋力がなく、弓を持ったときにその重さで体が右に倒れてしまう。そこで左肩にベルトをかけて姿勢を安定させる。握力がない部分は右手にベルトを装着して補う。いつもの射形と同じかどうか体の感覚を研ぎ澄ませ、矢を射る。
定期的に練習に通える環境が整い、18年に初めて大会に出場。19年には初の国際大会となった世界選手権の男女混合種目で銅メダルを取り、東京大会の代表に内定した。
世界選手権でペアを組み、一緒に内定を得た仲喜嗣さんが、今年2月に病気で亡くなった。20年に大会が開かれていれば、出場できたはずだった。
日本代表チームには、仲さんの妻・奈生美さんが手作りした「仲さん人形」も帯同し、試合を見守る。岡崎は言う。
「仲さんは日本チームと一緒に戦ってくれていると思う。空で見てないで一緒に戦って、という気持ちです」
(編集部・深澤友紀)
※AERA 2021年9月6日号より抜粋