アーチェリー・岡崎愛子(35)/母・敦子さん(右)のサポートを受けて参加。障害の影響で汗がかけないためアイスベストを着用するなど暑熱対策をしている(c)朝日新聞社
アーチェリー・岡崎愛子(35)/母・敦子さん(右)のサポートを受けて参加。障害の影響で汗がかけないためアイスベストを着用するなど暑熱対策をしている(c)朝日新聞社
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 さまざまな思いを胸に競技と向き合うパラアスリートたち。なかには、大きな事故や仲間の死を経験しながらも、前を向いて戦い続ける選手もいる。AERA 2021年9月6日号で取材した。

【写真】「最後の1人」の退院を伝える当時の記事

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 乗客106人が亡くなった05年のJR宝塚線(福知山線)脱線事故。入院した168人の中で最後に退院した岡崎愛子(35)はアーチェリー代表として初のパラ出場を果たした。

 2年前の取材で、こう語っていた。

「いつも事故のことばかり聞かれる。いつまでも被害者として見られるのは嫌ですね」

 事故当時、同志社大学2年生だった。投げたディスクを犬がキャッチする「フリスビードッグ」の全国大会に出場していた生活は一変した。首から下が動かない現実に向き合い、介護で疲弊する家族の姿を想像し、絶望したこともあった。

 だが、大学への復学を果たし、卒業後は自立を目指して東京で就職。ヘルパー制度を利用して一人暮らしを始めた。

「変えられない現実を嘆いてもしょうがない。だから私は障害を理由にしたくない。事故や災害病気など身に降りかかってくることは自分では選べないけどどう生きるかは自分で選べる」

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