浜矩子/経済学者、同志社大学大学院教授
浜矩子/経済学者、同志社大学大学院教授
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 経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。

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 今年の8月15日はニクソンショック50周年だった。本欄でも以前、このことを取り上げた。そして9月11日は、アルカイダによる米同時多発テロから20年になる。

 8月30日には、20年弱にわたる米のアフガニスタン駐留が終わった。それは9・11事件がきっかけだった。当時、アフガンを広範に及んで支配していたタリバーンが、同時多発テロの首謀者たちをかくまっている。そう見なした米国が、テロ撲滅を掲げて掃討作戦に乗り出したのだった。今、アフガンは再びタリバーンに制圧されている。人々はどのような思いでこの日を振り返るか。

 1971年8月15日には、通貨の世界における「パックス・アメリカーナ」が瓦解(がかい)した。

 パックス・アメリカーナとは、「アメリカによる平和」の意だ。ローマ帝国について言われた「パックス・ロマーナ」、そして大英帝国が自称した「パックス・ブリタニカ」を踏襲した言い方である。突出した覇権掌握者の存在が世界的安泰の支柱になるというわけだ。

 ニクソンショックの日までは、ドルが通貨的覇権を独り占めにしていた。確かに、そのことが国際通貨秩序の安泰を保障していた。

 だが、いまや、ドルは覇権通貨ではない。それが証拠に、9・11事件の時、世界の資金は、不動の退避通貨だったはずのドルから逃げた。そして円に向かったのであった。

 9・11は、既に揺らぎつつあった軍事外交上のパックス・アメリカーナにも大きな影を落とした。そして、アフガン撤退は米国自身によるパックス・アメリカーナの終焉(しゅうえん)宣言だった。そのように言えそうだ。

 それでいい。そもそも、グローバル時代は「パックス・誰」でもない時代だ。奢(おご)れる者は久しからず。盛者必衰は理だ。だが、盛者が衰える時、それに伴って痛むのは弱者だ。アフガン撤退時のあの悲惨な映像がそれを如実に表していた。

 9・11は無辜(むこ)の人々を惨殺した。ニクソンショックによる通貨混乱もまた、人々の生活を直接・間接に痛撃しただろう。敗北宣言には責任が伴う。この責任の果たされ方が、20年後のアフガン情勢を規定する。

浜矩子(はま・のりこ)/1952年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。前職は三菱総合研究所主席研究員。1990年から98年まで同社初代英国駐在員事務所長としてロンドン勤務。現在は同志社大学大学院教授で、経済動向に関するコメンテイターとして内外メディアに執筆や出演

AERA 2021年9月20日号