AERAで連載中の「この人この本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。
映画館や劇場街、駅前広場を華やかに飾った、手描きの映画絵看板は、かつてどの街にもありながら、今や失われつつある映画文化である。『昭和の映画絵看板 看板絵師たちのアートワーク』には、奇跡的に発見された、大阪ミナミの劇場街を彩った300点以上の絵看板の写真を映画の情報とともに収録。昭和の庶民文化を伝える本だ。企画した貴田奈津子さんに、同著に込めた思いを聞いた。
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インターネットもSNSもない昭和の時代、映画館には巨大な「映画絵看板」(以下、絵看板)が飾られていた。一世を風靡した絵看板は、今や数も減り、消えゆく寸前だ。
写真家の都築響一さんは絵看板の魅力について「映画がスターという地上の星たちのもので、スクリーンが銀の幕だったころ、絵看板は空に浮かぶ巨大な予告編だった」と帯に寄せている。
本書は大阪ミナミの劇場街で絵看板を製作していた「不二工芸」に保存されていた、1940年代から80年代にかけての貴重な記録をまとめた一冊だ。企画した貴田奈津子さん(57)にきっかけを聞いた。
「不二工芸は祖父が作った工房です。2017年ごろに父が保管していた大量のネガフィルムをいとこと協力してスキャンしたら、工房で手がけた絵看板の写真記録だとわかりました。本に掲載したのは約300枚ですが、実際には1千枚以上あるんですよ」
絵看板は平面的なものばかりではなかった。たとえば「キングコング対ゴジラ」の巨大な絵看板には腕が動く仕掛けがあり、「ローマの休日」ならば名場面を盛り込んだものが作られた。「七人の侍」は三船敏郎が飛び出す勢いで描かれている。立体的なものも多いのは、絵看板が歩いている人の足を止めるための宣伝装置だったからだ。
「絵看板は映画館からの依頼で、相談して作っていました。限られた時間のなかで、映画のどの場面を選び、どんな構図で巨大な絵にしていくのか。絵師さんたちの素晴らしい記憶力をもとに、本では実際の製作過程も紹介しています」