親友くんたちは幼稚園からの仲であり、今さら息子の足に関して何かを言うことはありません。学校も最大限の配慮をしてくださっているので、事情を伝えれば車での送迎も可能です。でも、息子自身にまだ葛藤があるようです。
■「じゃあ、もし麻痺がなかったら?」
知的に遅れのない肢体不自由児は、かなり幼いうちに、自分の身体がみんなと違うことに気付きます。
幼児期には「みんな違ってよいんだよ」「頑張り屋さんだね」という言葉は本人にも周りにも有効ですが、年齢を重ねるとそんな表面的なことではなく、もっと深い部分の悔しさや葛藤が出てくるようです。
息子は今までに何度か、ドクターや理学療法士さんから、「この身体の状態で歩けているのは、生まれ持った運動神経がかなりよかったからだよ」と言われたことがあります。
初めのうちは褒め言葉と捉え、うれしそうに聞いていましたが、ある時にボソッと「じゃあ、もし麻痺がなかったら?」と言ったことがありました。
そんなに運動神経がよいのなら、もし足が普通なら、もっとちゃんとサッカーができたじゃん……と。
この頃は、同年齢の男子との体力差が顕著になっていました。気持ちの面でも変化が現れ、何でもポジティブに参加したいと思うほうだったはずが、サッカーや体育の授業で、自分がいるとチームが負けることを気にするようになり、休み時間にひとりで本を読んでいる姿を次女が目撃し、心配したこともありました。
■決して不幸ではない
けれども、そんな時に彼に笑顔を取り戻してくれたのは、クラスの友人たちの存在でした。
障害があってもなくても、運動が得意な子もいればインドア派の子もいます。『休み時間はサッカー』という長年のルーティンだけでなく、教室内でゲームの話で盛り上がるなど新たな仲間もでき、休み時間の過ごし方はひとつではなかったと気付けたことで、救われたように見えました
子ども同士の世界ってすごいですね。
最近の息子は、障害のある足自体には納得しつつも、まだ少しでも『普通』に見せることを望み、そのための努力は苦痛ではないようです。
障害があるのは事実。でも、決して不幸ではありません。そこに気付いてくれる日が来るとよいな、と思っています。
〇江利川ちひろ/1975年生まれ。NPO法人かるがもCPキッズ(脳性まひの子どもとパパママの会)代表理事、ソーシャルワーカー。双子の姉妹と年子の弟の母。長女は重症心身障害児、長男は軽度肢体不自由児。2011年、長男を米国ハワイ州のプリスクールへ入園させたことがきっかけでインクルーシブ教育と家族支援の重要性を知り、大学でソーシャルワーク(社会福祉学)を学ぶ
※AERAオンライン限定記事