好奇心、探究心、社会性、完璧主義が核。「でも、最近は、完璧主義からは抜け出すように意図しています」(撮影/篠塚ようこ)
好奇心、探究心、社会性、完璧主義が核。「でも、最近は、完璧主義からは抜け出すように意図しています」(撮影/篠塚ようこ)
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 演出家、上田久美子。宝塚歌劇団の人気演出家だった上田久美子は、その成功にすがることなく退団。フリー1作目に選んだのはオペラだった。大衆演劇一座に泊まり込みで取材し、さらには文楽の手法で作り上げる。これまでに見たことのないオペラである。芸術が商業主義の波にのみ込まれ、コンテンツとして消費されることに疑問がある。そこにどう抗うかが、新たな挑戦でもある。

【写真】「道化師」の稽古場で、ダンサーの三井聡、森川次朗と

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 空気の乾いた冬の稽古場で、オペラのリハーサルが進んでいる。みずから大道具を動かし、小道具を用意しながら、出演者に細かく演出を付けているのは上田久美子(うえだくみこ)。昨年3月まで、宝塚歌劇団の座付き演出家として、次々と話題作を世に放った斯界(しかい)の才能だ。今回は、19世紀末イタリアのヴェリズモ・オペラ「道化師」「田舎騎士道(カヴァレリア・ルスティカーナ)」の2本立てで、宝塚退団後、初めての舞台演出に取り組む。

 ヴェリズモ・オペラは、上流層が愛好した既存オペラへのカウンターとして、130年前のイタリアで起こったムーブメントだ。「道化師」は、しがない旅一座で不倫を犯した女役者が、痴話喧嘩(ちわげんか)の果てに、夫である座長に殺される話。「田舎~」は、自分の兵役中に別の男の妻になった女を取り戻すため、身ごもった婚約者を捨てた男が、女の夫に決闘で負ける話。「ヴェリズモ(リアリズム)」の名の通り、陰惨なほどにドロドロで、オペラや宝塚歌劇が体現する豪奢(ごうしゃ)、夢々しさとは、かけ離れている。

「過去のイタリア、しかもオペラという日常とは遠い世界を、現代の日本人につなぐ。その難しさに惹(ひ)かれて、やってみようと思いました。ヴェリズモ・オペラは、登場人物をそれまでの貴族、富裕層ではなく、貧困者や田舎の人に置き換えて、人間の真実を描こうとした。背後には可視化されにくい階級差への問題意識があったはず。そこに焦点を当てれば、日本社会の現実も重ねていけるのではないか。そう考えているんです」

 理知的で隙のない語り口。宝塚時代から、完璧主義で人間の深淵に迫る作劇に挑んできた。

■オペラ「道化師」の取材で 大衆演劇一座に泊まり込み

 2013年のデビュー作「月雲の皇子─衣通姫(そとおりひめ)伝説より─」から、在団最後の作となった「桜嵐記」まで一貫して描いたのは、美しく輝いていたものが、現世のシステムの中で、どうしようもなく壊れていく悲劇。作品には、権力者と非権力者、男性と女性といった、固定した身分差への異議申し立てが通底していた。

 中でも「ショーの革命」と話題を呼んだのが、18年に手がけた「BADDY─悪党(ヤツ)は月からやって来る─」。男役至上の宝塚では、娘役は常に一歩引いた存在で、自己主張は掟(おきて)破りと目される。しかし、この作品ではラインダンスで、ズラリと並んだ娘役が笑顔を封印し、「絶対ゆるさない」「わたしは怒っている」と、足を踏み鳴らしながら激しく客席に迫る。

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