指導した北島康介選手を始め、東京五輪で1大会2個の金メダルを獲得した大橋悠依選手など、数々の競泳選手を育てた平井伯昌・東京五輪競泳日本代表ヘッドコーチ。連載「金メダルへのコーチング」で選手を好成績へ導く、練習の裏側を明かす。最終回は、「『余計なことをやる』効用」。

【写真】東京五輪終了後、記念写真を撮る平井コーチと大橋悠依選手ら

平井伯昌(ひらい・のりまさ)/東京五輪競泳日本代表ヘッドコーチ
平井伯昌(ひらい・のりまさ)/東京五輪競泳日本代表ヘッドコーチ
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 1986年、東京スイミングセンターにコーチとして就職して、自分の職業人としての青春時代は、シドニー五輪からアテネ五輪、北京五輪まででしょうか。

 特にシドニー五輪前の北島康介が中学、高校生のころから大学4年で二つの金メダルを取るアテネ五輪に向かっていく時期は、ちょうどそのころ読んでいた司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』のように、上だけしか見ない、振り返らない、という気持ちでいました。

 今回の東京五輪はヘッドコーチとしてチーム全体に気を配りながら、肩の力が抜けた状態で大橋悠依に金メダル2個を取らせることができました。こわいもの知らずでエネルギーを放ちまくっていたアテネ五輪との違いを考えると、職業人として壮年期に入ったような気がしています。

 北島が初出場したシドニー五輪は私も大会の雰囲気にのまれて緊張していました。今回は世界中の顔見知りのコーチと「久しぶり」と話をして、ドイツの優勝候補の選手に「緊張するなよ」と声をかけるなど、国内大会と同じようにふるまうことができました。

 アテネからの5大会でリレーを入れると、指導してきた選手が五輪で金メダル7個を含む17個のメダルを獲得しました。これからも金メダル10個、メダル20個を目指してがんばるつもりですが、トップ選手の指導だけでなく、ライフワークとして水泳の普及活動や選手発掘にも力を注ぎたい、と考えています。

 それは自分なりの危機感から生まれた発想です。少子化や地方の過疎化もあって、各地でスイミングクラブや水泳に関係する仕事が減っているような気がしています。6月まで務めていた競泳委員長として全国を見渡したとき、水泳人口も減っているんじゃないかという危惧を抱いていました。裾野を広げていかなければ、日本の競泳に明るい展望は開けていきません。

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