元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。デジタル庁発足に逆行するかのように脱デジタル化を決意した稲垣さん。スマホとの付き合い方についての考察・第4弾をお届けします。
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『スマホ脳』を読み、このままではスマホに人生を奪われると大いに危機感を抱いたものの、さりとて今すぐ捨てるというのも現実的でない。何しろ今や我が通信手段はスマホのみ。仕事の写真もスマホで有り難く撮影している。
なので、まずは試しに距離をとろうと。スマホを持ち歩くのをやめたのだ。基本、家に置きっぱなしである。
考えてみりゃヘンな話。スマホはケータイ。なのに携帯せず。意味なし! でも考えてみれば、のべつ幕なしに一緒にいなくても、メールやメッセージは1日に数回チェックすれば十分では? 電話も着信履歴が残るので、後からかけ直せば済むことである。
そうだよ。思い返せば、私が子供の頃は電話すら一家に1台だった。好きな子の家に電話すると、まずはお母さんが出て「いません」と冷たく言われたり、いても微妙な感じの声で呼び出してもらわなくちゃいけなくて、毎回緊張したものなのだよ。もちろん会話も家族全員が聞いていて、イチャイチャ長電話するとエー加減にせいと怒られた。いやーなんと甘酸っぱい思い出! 青春だなあ! その頃を思えばスマホを家に置いていくことくらいどうということもなし。
で、実際やってみたらですね、まさに全くどうってことなかったわけです。隙あらば「私を見て見て!」とあらゆる手段でアピールしまくるセクシーガイ(スマホ)も、家に一人取り残されてはなすすべもなし。無人の我が家で光ったり震えたり音を出したりしているんだよネ可哀想に。おかげで私の集中力は確かに戻ってきた。以前の倍は原稿を書いている。正直言えば原稿が進まないときなどヤツが恋しくならないわけじゃないが、遠距離恋愛と同じで物理的な距離を取れば心の距離も離れていくに違いない。
今回身にしみたのは、なきゃやっていけぬと信じ込んでいるものも、ないのが当然の時代があったこと、そしてその頃と今とどっちが幸せか、案外考えてなかったということだ。考えたほうがいい。きっとリアルな突破口がある。
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
※AERA 2021年10月4日号