ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「レジェンド」という言葉について。
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先日、何かのニュースサイトで「大谷とダルビッシュが試合前に談笑」という記事を読みました。同じ日本ハムファイターズからアメリカに渡り、今や大リーグを代表する選手となった御両人。そのふたりが揃ったわけですから、話題になるのは当然です。ただ、その記事には「日本人“レジェンド”たちが再会」とあり、かなりの違和感を覚えました。
実際にふたりのツーショット写真を掲載したMLBの公式ツイッターには「Japanese legends」との文言が添えられています。それもそれでどうかと思うのですが、いずれにせよ日本のメディアが、大谷とダルビッシュを指して「レジェンド」と表する感覚が理解できません。文章を書く者としての言語センスを疑います。とりあえず「レジェンド」で締めておけば格好がつくと思っている根性も気に食わない。下手すりゃ「レジェンド」の意味すら知らないのかも。
ともあれ、日本人は「レジェンド」を量産し過ぎです。本来「レジェンド=伝説」とは、「かつて大きな功績・業績を残した」物や人を指して使用される言葉であり、スポーツ選手ならば、すでに現役を引退したり、チームを離れたり、もしくはこの世を去っている人がその対象として妥当ですが、最近は「長年現役を続行している一流選手」もレジェンドと表現される傾向が顕著です。私の記憶では、スキージャンプの葛西紀明選手が、2014年のソチ五輪に7大会連続出場を決め、41歳で銀メダルを獲得した際に、広く浸透したという印象があります。