「今のバイデン政権のワクチン政策には非常に怒りを感じる」
と話し始めた。ワクチン反対派であることが分かり、マスクもしておらず、筆者は「しまった」と思った。しかし、イリザリはまくしたてた。
「マスクやワクチンをするかしないか、政府に言われる筋合いはない。アメリカ合衆国憲法に定められた個人の権利を侵害している。個人の自由を奪っている。つまり、バイデン政権は違憲行為を繰り返している」
個人の自由を侵害している、というのがマスク・ワクチン拒否派が繰り返す主張だ。イリザリは、9.11テロの犠牲となった義理の弟の死を悼んでいた。にもかかわらず、ワクチンを拒否し、他人や家族に新型コロナを感染させる可能性があることには無関心だ。政治的信条は、それほどにマスク着用やワクチンに対する理解を歪めている。
ニューヨーク市は、ワクチンは有効だと強調する。1月17日から8月7日まで、新型コロナに感染したケースの96.1%がワクチンが未接種の市民で、死亡者の97.3%も未接種だったとしている。
喘息が持病でブースター接種を既に受けた前出のパラデスも、こう言う。
「誰も死にたくない。医療関係者など、患者や同僚などの健康や生死に関わる職業や、大企業でのワクチンの義務化には、全面的に賛成だ」
しかし、マスク・ワクチン拒否派の行動はエスカレートする一方だ。空港と機内でのマスク着用を義務づけている米運輸保安庁(TSA)によると、マスク着用を拒否し、客室乗務員と口論したり、暴力を振るうなどのトラブルが年初から4千件も発生している。児童を学校に迎えに行った父親が、我が子がマスクをしている姿を見て激怒し、教師を殴ったケースもある。
一連の「ワクチン解雇」によって、自治体や雇用主に暴力を振るう事件が起きないとも限らない。
米市民は過去1年超、新型コロナの感染拡大による不安と闘い、家族や友人の犠牲や失業、生活苦などに直面してきた。ところが、新型コロナから解放してくれるはずのマスク、ワクチンを巡って、賛成と反対の真っ二つに分断され、治安の悪化も引き起こしている。米メディアは、黒人の奴隷解放を巡って国が分断した「南北戦争」のような状況だとさえ指摘する。互いの命を守ろうとして浮上したワクチン・パスポートや企業でのワクチン義務化は、火に油を注ぐような現象にもなりかねない。(文中一部敬称略)(ジャーナリスト・津山恵子)
※AERA 2021年10月11日号より抜粋