春風亭一之輔・落語家
春風亭一之輔・落語家
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 落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は「10月」。

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 秋ですなぁ。全国のお客さんから秋の味覚が送られてきます。最近はシャインマスカットなんて種無しで皮まで食べられるから、ちょっと種があるだけで「めんどくさ」なんて思っちゃう……人間というものは贅沢なもの。ただ今、栗ご飯を作るべく大量の栗の皮を剥いております。渋皮まで剥き残しが無いよう丁寧に丁寧に、物思いに耽りながら。

 そう、本日、10月1日は「古今亭志ん朝師匠の御命日」。20年前。2001年のこの日、63歳の若さでお亡くなりになりました。私はその年の5月1日に春風亭一朝に入門。「落語家になる前に生の落語の聴き納めだ」とばかりに、4月上席池袋演芸場夜の部に通いました。志ん朝師匠がトリ、昼は真打ちになったばかりの柳家喬太郎師匠です。勿論、初日から昼夜で居続け……のつもりが、普段は昼夜入れ替えの無い池袋演芸場が3日目から入れ替え有りにしやがって……。日を追うごとにお客が増えていき、千穐楽はドアを開け放し、ロビーまで人が溢れてました。志ん朝師匠のネタは十八番「火焔太鼓」。この一席が私が素人として聴いた最後の落語でした。

 その後、体調がすぐれないという噂は聞いてました。ですからお会いする機会もなかなか無いまま……8月中席浅草演芸ホール昼の部、毎年恒例『住吉踊り』、志ん朝師匠はこの興行の座長です。私は夜の部の新米前座でした。初日、早めに楽屋入りして夜の支度をしていると志ん朝師匠がお入りになりました。「わー、志ん朝師匠……」。本来、初めてお会いする師匠には先輩前座にお願いしてご紹介して頂くのが楽屋のルールなのですが、師匠はかなりお辛いようでそんなことを頼める雰囲気ではありません。そんな楽屋での様子を高座では微塵も感じさせず10日間つとめられ、季節は秋に。

 10月1日、新宿末廣亭昼の部初日。2階の楽屋で働いていると先代の柳家さん助師匠が「志ん朝さん、亡くなっちゃったなぁ」と呟きました。「さん助師匠がなんか言ってますよ、兄さん」「あの歳だからなぁ、ボケちゃったんじゃないか?」なんて前座同士で話してたんですが、どうやら事実のようでした。誰かが亡くなっても芸人というのは心で悲しんで、表向きは軽口を叩いたりするものなのです。あの年の10月1日、いや、それからしばらくのあいだ、あんなにまで重苦しい空気の寄席の楽屋は覚えがありません。全ての芸人に、お客様に、愛され慕われた師匠でした。名人が亡くなると「落語の灯が消えた」などと安易に言う人がいますが、あの時は本当に『消える』かと思いました。

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