9月20日、人気グループBTS(防弾少年団)が国連総会でスピーチを行った。韓流文化が世界を席巻している背景には、朝鮮戦争後の活路のひとつとなった移民や、自国での激しい競争がある。AERA 2021年10月25日号から。
>>前編:BTSを生んだ韓国の壮絶な競争社会 「努力、努力」と「レベルが違う」パフォーマンス より続く
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韓国の人々にとって海外で働くことは、昔から慣れ親しんだ世界でもあった。
韓国は朝鮮戦争(1950~53年)で国土が廃墟と化した。60年代末ごろの韓国の1人あたりGDP(国内総生産)は日本の5分の1程度だった。極貧の生活を強いられた人々が見いだした活路の一つが、海外への出稼ぎ労働や移民だった。
戦後の激動期を描いた韓国映画「国際市場で逢いましょう」(2014年)では主人公が弟の学資を稼ぐため、西ドイツへ炭鉱労働者として出稼ぎに出る姿が描かれた。1987年11月に北朝鮮工作員により爆破された大韓航空機858便に搭乗して犠牲になった乗客104人のほとんどは、中東から祖国に戻る途中の出稼ぎ労働者だった。
そして、韓国のベテラン俳優ユン・ヨジョンが、今年のアカデミー助演女優賞に輝いた映画「ミナリ」は、1980年代の米国南部アーカンソー州を舞台に苦闘する韓国人移民のファミリーを描いた。
米国に住むコリアンアメリカンは2019年時点で、約191万人にのぼる。15年の国勢調査で約141万人だった日系米国人を上回る。戦前から移民が盛んだった日系に比べ、韓国系の人々が自由に移民できるようになったのは1960年代から70年代にかけての頃からだった。生活難に加え、朴正熙政権の軍事独裁による政情不安もあった。多くの韓国人が「自分が苦労してでも、子どもに良い教育と仕事を与えたい」と考え、米国への移民を希望したという。映画の背景になった80年代は移民が盛んな時期で、劇中でも「1年間に3万人がやってくる」という説明がある。
■「海外で働く」が常に選択肢にある
上述した30代のコリアンアメリカンは「周囲の韓国系女性には熱狂的なARMYが何人もいる。BTSの公演やニュースがあれば、インスタグラムやツイッターを使い、英語で拡散している」と語る。
韓国で英語教育熱が高いのも、「海外で働く」ことが選択肢になっているからだ。韓国企業が入社希望者に求めるTOEICの最低スコアが700点。韓国の大学生から「良い会社に入りたかったら900点は必要だ」と聞かされたこともある。「海外で働く」選択肢を常に頭に入れている韓国の風土が、韓流文化の海外進出を下支えしている。