渡邉みどりさん(提供)
渡邉みどりさん(提供)

 婚約発表の記者会見は大変印象に残っています。「紀子さんは初恋ですか?」という記者団からの問いかけに、「申し上げてもよろしゅうございますか?」と婚約者の了解をとる紀子さま。礼宮がうなずくと、一言、「そうでございます」。なんと初々しかったこと。

 その後おふたりの間に眞子さまがお生まれになり、初めて孫ができた美智子さまもさぞお喜びになったことでしょう。眞子さま誕生の翌年の1992年、美智子さまはこのように歌を詠まれました。

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『草生(くさふ)』

春の光溢(あふ)るる野辺の柔かき草生の上にみどり児(ご)を置く

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 赤坂御用地の緑の芝生の上に初孫を寝かせ、幸せいっぱいなおばあさまぶりが目に浮かびます。眞子さまはすくすくと大きくなられ、歴代皇后の仕事である養蚕のお手伝いをするようになりました。その後は文通でも、蚕のことでおばあさまと交流を深めていきました。

 2005年。当時中学生だった眞子さまの姿に、私はいたく感心したことがありました。戦後60年の節目の年、上皇と美智子さまはサイパン島への祈りの旅を終え、那須の御用邸で静養されました。そのころ、那須では旧満州の開拓団の人々が農業をしていました。

 美智子さまは、眞子さまには少し早いかなと思いながらも、満蒙開拓団について知っているか尋ねました。すると眞子さまは、「母かたの祖母が旧満州からの引き揚げ者なので知っています」と答えたのです。

 眞子さまは、藤原ていさんが書いた『流れる星は生きている』も読み、引き揚げ者の苦労を理解していました。その熱心な勉強ぶりを認めた美智子さまは、一緒に那須に行くことを決めました。眞子さまは現地で、開拓団の人の話にじっと耳を傾けていました。

 美智子さまにとって、初孫への思い入れと期待はひときわ強かったことでしょう。

 その大事な眞子さまがご結婚をめぐる騒動の渦中にいる間、美智子さまは「わたくしも一人で決めたのだから、あなたもご自分で考えて決めなさい」と叱咤激励し、ひたすら見守っていたと伺っております。自分で決めた道でなければ本当の幸せはつかめない。そのとおりだと思います。

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