帯津良一(おびつ・りょういち)/帯津三敬病院名誉院長
帯津良一(おびつ・りょういち)/帯津三敬病院名誉院長
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 西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「虚空へ」。

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【詩】ポイント
(1)谷川俊太郎さんが『虚空へ』という詩集を出版した
(2)谷川さんが詩で語る虚空のイメージは私と一致する
(3)谷川さんの詩には虚空を身近に感じさせる力がある

 最近、谷川俊太郎さんが詩集を出版されました。最新の詩が収録されています。そのタイトルが『虚空へ』(新潮社)なのです。人は虚空から来て、虚空に帰っていくと考えている私にとって、虚空は特別な存在です。谷川さんは虚空をどうとらえていらっしゃるのでしょうか。さっそく、詩集を開いてみました。

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(もし死が)
もし死が あるのなら そこから 始める

私は もう いないが

虚空は 在る 至る所に

目に見えず 耳に聞こえぬ ものに 満ちて

***

「もし死があるのなら」とは、死がいのちの終わりではなく、いのちのプロセスの一つとしてあるならということなのでしょう。プロセスの一つですから、「そこから始める」ことができるのです。そこからは、いわゆる死後の世界で、次のステージが始まります。

 そのとき、いわゆる現世には「私はもういない」ことになります。そのかわり「虚空は在る」のです。「至る所に」。つまり虚空イコール私ということでしょうか。

 その虚空は「目に見えず耳に聞こえないものに満ちて」いるというのです。私は虚空には生命のエネルギーが満ちていると思っています。谷川さんが詩で語る虚空のイメージは私のそれと、一致しています。

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(生まれる前の)
生まれる前の 無名無縁の いのち 私?

胞衣を 纏い 羊水に 浮き

すでに 死を 知っていた

あどけない この世の 始終を

***

 ふるさとの虚空から、この世を眺めていた私は、死も含めた、この世の一部始終を知っていたはずなのです。それなのに、なぜ地上に降り立つと、すべてを忘れてしまうのでしょうか。それが業というものなのでしょうか。

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