
半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。
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◆横尾忠則「未来から差してくる青春の光」

セトウチさん
緊急事態宣言とオリンピック、パラリンピックと時を同じくして、東京都現代美術館の「GENKYO 横尾忠則」展、丸の内と新丸の内の両ビルで東京大壁画展(長女の美美と共演)、21_21のカルティエ現代美術財団(パリ)の「The Artists」展、渋谷パルコのほぼ日企画の横尾忠則の生活展の4本の展覧会も終幕を迎え、魂が抜けたみたいにホッとしてアトリエの長ソファーで無為の時間をむさぼっている毎日です。
特に都現美は連日、行列ができる大盛況で会場内は濃密状態でした。5歳の頃の絵から、展覧会間際まで描いた計660点を一堂で見るのは初めて(点数のその多さに驚かれますが、全作展示すると2000点越えますネ)。僕にとってのこれらの作品は死の瞬間に見せられるという人生のあらゆる情景の断片が走馬灯のように目の前を通り過ぎ、楽しいことも嫌なことも苦しいこともあって、人生ってこんなに短いのかと作品を通して感慨深い体験でした。50年、70年前の作品でもそれを描いた瞬間はどこで、どんな風に描いたかということを克明に記憶しています。そう考えると全ての作品が日記です。僕は50年間日記をつけていますが、その日の様子は文字としては残っていますが、どれひとつ体感の記憶はありません。だけど絵はその時の空気感まで完全に記憶しています。脳の記憶は忘れますが肉体の記憶は完璧に覚えています。絵は肉体的だというのはこういうことです。
展覧会に来てくれた人は毎日のように厖大なメッセージをSNSを通して僕のところに発信してくれます。大部分のSNSは作品のパワーやエネルギーについて語っています。僕の絵は思考から生まれた作品ではありません。だから思想と無縁です。僕は独学の画家ですから、アカデミックな美術教育は受けていません。美術関係者の多くは僕の絵の主題(テーマ)に興味を持ちますが、僕に言わせれば主題なんてどうでもいい問題で、何を描くかではなく、如何に描くか(様式)が重要です。さらに言うなら、如何に生きるかが問題です。現代美術の最先端の作品は何を描くか(主題)を問題にします。僕の作品は現代美術と真逆のことをやっています。