
■母から愛されていない
優真は母親から愛されていないのではないか、という不安のなかで育つ。「ひどい母親を捨てた父親は偉い人だ」という歪(ゆが)んだ父親信仰と、女性嫌悪(ミソジニー)を抱くようになる。
「虐待がもたらす傷が性的な欲求を歪ませ、本人も爆発を止められなくなる。私の想像ではありますが、実際にこうしたベクトルが働くとすれば、虐待は本当に残酷なことだと思います」
優真や同級生にとって、スマートフォンは友だちづきあいに不可欠のツールだ。内閣府の20年度の調査によると、中学生の約7割がスマホを利用している。優真も、スマホがあればクラスに溶け込める、「真の仲間」を探せると信じていた。しかし、実際はスマホを通じて同級生から残酷な仕打ちを受けてしまう。
昨年11月に東京都町田市で小学6年の少女が自殺した事件でも、遺族は少女への悪口がチャットに書きこまれていたと訴えている。
「スマホさえあれば友だちができるというのは幻想にすぎず、むしろ世界中でいじめに利用されています。狭い世界で生きる子どもたちが、リアルだけでなくバーチャルでも居場所を奪われたら、死を思うようになっても不思議ではありません」
虐待されてきた優真は他人との適切な距離感がわからず、不満や鬱屈(うっくつ)を暴力でしか表現できない。このため、同級生たちの不信を買うばかりだ。両者の間には、絶望的な隔絶が横たわっている。
「同質的な人間関係のなかだけで生きる花梨たちにとって、優真のような子は『気持ち悪い』存在としか映らないでしょう」
自分が関心を持つ分野、自分にとって都合の良い情報ばかりが集まりがちなネット社会の特性も、異質な人々への「想像力の欠如」に拍車をかけていると、桐野さんは考える。
「想像力のなさは、他人が起こした結果のすべてを個人の能力や努力に帰する『自己責任論』にも通じます。価値観の違う人を『上から目線』でしか見られない人が増えれば、優真のような辺縁に置かれた人は、ますます社会から排除されてしまう。そこに恐怖すら覚えます」
里親の目加田夫妻や児相の職員らは、それぞれのやり方で優真を思いやり、理解しようと努める。しかし、その思いは届かず、優真は心を閉ざすようになる。