「政権選択選挙」を掲げた総選挙で、立憲民主党は議席を減らした。引責辞任する枝野幸男代表に代わり、「次世代の野党の顔」には誰がなるのか。
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その日、SNSには「#枝野辞めるな」の文字が躍った。2日、2017年の立憲民主党の誕生時から同党を率いてきた枝野幸男代表(57)が党執行役員会で辞意を表明した。自ら掲げた「政権選択選挙」で、公示前の109議席から「13議席減」させたという理由だ。辞任表明する枝野氏の表情は淡々としていた。
「政権選択の構えを作ることはできたが、現有議席を下回るという大変残念な結果となった。ひとえに私の力不足だ」
■夢にも思わなかった
突然の辞任劇に同党は騒然となった。枝野氏は憲政史上初めて全国217の選挙区で「野党共闘」を実現した。中でも5野党、特に共産党との選挙協力は画期的だった。対する自公政権は危機感を抱いた。自民党は「これは選挙のための野合だ」と、自ら創価学会を母体とした公明党と長年、選挙協力している事実を棚上げし批判した。選挙期間中、SNSを埋め尽くしたのは共闘を揶揄する「立憲共産党」の言葉。その発信源は、自民党副総裁の麻生太郎氏だった。
多くのメディア関係者が、この与野党対決の軍配は、野党に上がるのではないかと感じていた。選挙当日の出口調査でも「自公過半数割れ」を裏づける数字が全国で相次いだのだ。しかし、結果は全く違っていた。開票日当日、枝野氏の盟友で、立憲民主党の福山哲郎幹事長(59)は「議席が増えることはあっても、議席が減るなどとは夢にも思わなかった」と声をつまらせた。
興味深い数字がある。実は217の選挙区のうち、1万票以内の差で負けた選挙区が「31」。5千票以内の僅差で負けた選挙区が「15」あったのだ。福山氏は衆院選での「野党共闘」は間違っていなかったと強調した。
「つまり1対1の構図に持ち込んだからこそ、最後の最後で競り負けたことが全て倍返しとなって跳ね返った。もし、競り負けた選挙区の半分で勝っていたならば、比例も合わせて立憲の議席は最低でも130から140は獲得していただろう。そして、維新の躍進はあったにしても自民党は単独過半数割れ。永田町の風景は大きく変わっていた可能性がある」(福山氏)