「マスメディアは政治資金の使途に絡むスキャンダルには敏感に反応しますが、ネットの流言みたいなものに対しては反応が鈍い。でも、一見くだらないものとか醜いものの中に庶民感情がわだかまっていて、どんどん膨らんでくる可能性があります。マスメディアが当初、全く反応しなかったヘイトスピーチはどんどん広がってしまいました」

ヘイトスピーチを制止したのは草の根の社会運動だった。カウンターの人たちが街頭に出て対抗する動きが広がり、徐々に「ニュース」として報じられるようになった。

「公共の場でヘイトやフェイクを流すことに対する市民の反発が出発点でした。それに呼応する形で条例を整備したのは川崎市や大阪市といった地方自治体です」(同)

伊藤教授は近年の「メディア攻撃」の共通点を指摘する。

「あいちトリエンナーレの表現の不自由展や日本学術会議の人事問題も、『知のメディア』に対する攻撃です。リベラルな知識人を権威とみなし、憎しみをベースにした共感を武器に、上と下が一緒になってつぶす構図はDappiもシンクロします」

メディア環境をどう作っていくのかは誰にとっても重要な問題だ。本質は、誰が作る疑似環境を信託するのかということでもある。マスメディアの役割が問われている。

(編集部・渡辺豪)

AERA 2021年11月15日号から一部加筆

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