『戦国武将を診る』などの著書をもつ産婦人科医で日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授の早川智医師が、歴史上の偉人や出来事を独自の視点で分析。今回は「とはずがたり」について“診断”する。
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1938年、宮内庁書陵部で鎌倉時代末期の王朝女性の日記が発見された。
作者・後深草院二条は大納言源(久我)雅忠の娘である。母大納言典侍は四条隆親の娘で、幼少の後深草天皇に「新枕」(性のてほどきをさずける役)から中流公家である雅忠のもとに降嫁した。
しかし、彼女は幼小期に父を失い、4歳から後深草院のもとで養育される。そして母のことを忘れられない院により14歳から寵を受ける。
だが、以前から慕っていた「雪の曙」(モデルは太政大臣西園寺実兼)や後深草院の弟の亀山院、そして、やはり帝の弟にあたる御室仁和寺の門跡の「有明の月」(性助入道親王)という阿闍梨とも関係を結び、幾人かの子をなしている。さらに後深草院が紹介した近衛の大殿(関白鷹司兼平)とも交わるがひたむきな有明阿闍梨との交情も続く。
後深草院は有明との関係をとがめないのみならず、懐妊が判明するとその子を院の皇子として引き取る。作者は31歳になって宮廷と愛欲の世界から身を引いて出家し、鎌倉への修行の旅に出る。信濃の善光寺、浅草の観音堂を詣で、鎌倉に戻っては多くの御家人たちと和歌を交わしたあと、都を経て奈良へ、そして石清水八幡に参拝したところで後深草院の御幸と巡り合い、一晩語り合う。
その後も院や貴族たちとの交流は続く(有明の月のみは流行病で死去)が、嘉元2年(1304)、後深草院の死を迎え、葬列を裸足で追ったところでいったん終わる。後半は49歳までの二条の旅行記なので省略。
■13世紀のポリアモリー
かつて、この日記「とはずがたり」は、源氏物語や伊勢物語のパロディーや一人の多情な女性の懺悔(英訳はThe Confessions of Lady Nijoとなっている)というコンテクストで考えられてきた。だが、彼女の愛は初めての男性である後深草院、初恋の「雪の曙」、弟宮の亀山院、有明阿闍梨、そして大殿といずれもひたむきであり、後深草院ほか他の恋人たちも(内心の嫉妬はあったとしても)彼女の愛を受容している。
その意味で、これこそ日本におけるポリアモリー女性の記録として貴重なものであろう。