原武史(はら・たけし)/1962年、東京都生まれ。放送大学教授、明治学院大学名誉教授。東京大学大学院博士課程中退。著書に『大正天皇』(朝日文庫)、『昭和天皇』(岩波新書)、『一日一考 日本の政治』(河出新書)ほか多数

保阪:社会勉強になりましたよね。「日本海」ではみんな話しかけてくるし、みかんをもらって食べたりしましたが、京都から東京までの東海道本線はまったく空気が違っていて、背広姿やサラリーマンの乗客が多かった。昭和30年代の高度成長の縮図でしょう。裏日本と表日本の列車内は雰囲気が全然違いましたね。

原:焼津の話を覚えているのは、昼間の東海道本線がそういう出会いのない線だからでしょう。

保阪:裏日本と表日本も違いますが、路線によって特徴があるのかなと思いますね。

原:急行「津軽」は有名です。上野から奥羽本線経由で青森まで走っていました。上野を出た時点で、車内がみんな津軽弁を話している。ひとつの濃密な共同体が車内にあったんです。

保阪:乗るなり、話が始まるのですね。

原:車内に入った瞬間から故郷に帰ってきたような雰囲気になったんです。よそ者が乗っても家族の一員みたいになります。

保阪:新幹線ができ、やがて飛行機が一般化したら、そういう文化は希薄になりましたね。

原:ボックス席が減っていることも原因の一つだと思います。向かい合っていると、何か話をしないと気づまりになりますが、特急のように座席がすべて前方を向いていると、話さなくてもおかしくない感じですから。

保阪:新しい人間関係や社会が始まることはないですね。昔の列車の中では濃密な人間関係の姿を垣間見ることができ、作家やいろんな人がそこから刺激を受けているということも原さんの本を読んでいるとわかります。

原:谷崎の文章を改めて読んでみて、こんなに熱中して窓の外の景色をひたすら見ていたのだとびっくりしました。

保阪:物理学者の寺田寅彦が、成増で写生するために池袋から東武東上線に乗ったときの話も面白かったですね。沿線の景色をとても美しいと言っている。今だと急行、準急、快速と池袋の次は成増なので、車窓を楽しむどころか、途中駅の名前もわからないくらいです。

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